2022.08.01更新

兵庫工業倶楽部理事長

冨金原 伸伍

 

県立兵庫工業高等学校創立120周年を迎えるに当り、兵庫工業倶楽部同窓会36,000有余名を代表して、この良き日を御祝福致します。
県工は明治35年11月、兵庫区大開通りに兵庫県立工業学校として発足して爾来120年間滔滔たる時代の流れの中、筆取り学ぶ県工健児の姿形は変われども、一時たりとも途絶える事無く永永と続く県工魂、誠実勤勉であれ、根性の持ち主であれ、常に明朗闊達であれ、の校訓を仰ぎ見て、この伝統を解く事なく堅持して参りました。
兵庫県で工業学校として第1声産声をあげた創建当初、世界の中の日本、取り分け欧米列強との国力、経済力たるや悍ましい程の格差があり到底太刀打ち出来るものではありませんでした。日露開戦をした当時の工業力であってしてもロシアとの隔たりは歴然としており、その差は実に日本の3.6倍もの優越する位置に立っておりました。況してやその36年前、明治維新の時迄遡ると、目も覆いたくなる程の脆弱さであったと推測するに難くないと思います。
其の様な中で兵庫県民の大きな期待に応えるべく産声をあげたのが我が県工でありました。県工は全学区制にあって、日本の将来を一身に担う優秀な健児を募りました。
その結果、県下全域から日本の底力となるべき若人が集結しました。
彼等は軽工業から重工業分野へと、将又、あらゆる産業分野へと進出し、日本の産業界の礎を築いていきました。
日清、日露、第1次世界大戦、第2次世界大戦をも経験し、幾多の艱難辛苦をものともせず乗り越えて、寸時も途絶える事無く連綿として足跡を標してまいりました。
県工の歴史は、近代、現代を歩んできた日本の歴史そのものであると云っても過言ではないでしょう。又、三面等価の原則の一面である国民所得に照らし合わせてみると、国民一人に於ける生涯収入は現在2億7000万円とされているので、27,000万円×36,000人として算出すると、約1兆円という膨大な金額がはじき出されてきます。我が校の卒業生の果たしてきた責務はこの数字をみても充分に全うして来たと自負する心を持っても良いのではなかろうかと思います。このようにして日本の近代化を産業分野の面から支えて大いに貢献してきました。
今後も当校が日本の繁栄の為に資する限りは、この先150年、200年と未来永劫存続する事は担保されていく事でしょう。そのためにも同窓諸兄姉の結束を更に強固なものとし、縁の下の力持ちとなりて学校の更なる発展に寄与する事をここに硬く誓います。
兵工がこれからも日本の繁栄を支える礎となり、今後産業界で活躍するであろう県工健児の益々の意気盛んなる事を祈念して擱筆致します。


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2022.06.04更新

御挨拶

兵庫工業倶楽部理事長
冨金原 伸伍

同窓諸兄姉の皆様に於かれましては益々御健勝の御事心よりお慶び申し上げます。
平素より兵工倶楽部へ物心共に多大なる御支援を戴いております事この場を借りて厚く御礼申し上げます。
扨、昨年コロナ禍の真只中、4月に御着任された矢部宰文校長先生にありましてはコロナ対策等、前代未聞の困難な時期を極めている折柄ではありますが、学校運営を支障無く遂行されている事に心より安意しております。矢部校長先生以下教職員の皆皆様の御尽力に感謝と敬意を表します。
又、大変残念な事に去る2月23日、昭和34年に創設された電子科(平成5年に電子工学科に改称)が、その63年の歴史に幕を閉じ、閉科となりました。この紙面を借りて御報告させて頂きます。挨拶が上記の如く少し寂しい話題になってしまいましたが御許し下さい。又その反面明るい話題もあります。
本校は明治35年11月8日(1902年)に兵庫県立工業学校として設置されて爾来120年の歴史を歩んでまいりました。 8学科を擁し卒業生は36,000有余名を数え、開校以来120年間、間断なく日本の産業界の発展に寄与し続けて参りました。
1868年開国当時、日本の輸出用産品と云えば絹、茶、工芸品位でしかなかったと云われております。ところが開国から40年余の短期間の中にマッチから軍艦に至る迄、軽工業から重工業までを網羅し、それ等の多くを国産化する事に成功したのであります。
この事を「極東の奇跡」と言っても過言ではないでしょう。そして国富を蓄えて欧米列強と比肩しうるよう挙国一致してその目的の為に萬進していきました。そしてその間、日清戦争を始め、日露戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦と幾多の国運を懸けた戦争を経験し艱難辛苦を乗り越えて来ました。
吾が県工はその間日本の工業の礎を支え、国の生存と繁栄を信じて今日迄貢献して参りました。学校の名称変更、学科の新設存廃等々数々の変遷を繰り返し乍ら発展して参りました。
自然界を見渡してみても、その理は全くの処そうである様に旧態依然として脱皮を厭う様では真の進化発展は望めない事でしょう。
我執に拘泥せず、無遮の気風を不動のものとして定めておけば、県工の未来は何ら憂うる事無く、今後150周年200周年を壮健にして迎え、祝着する事夢想だにせず県工の隆盛を固く信じて疑わない心を持ち続けていく事をここに宣言し、来る11月8日に開催される記念式典の成功を心より祈念して御挨拶とさせて頂きます。

2019.02.25更新

兵庫県立兵庫工業高校 卒業式 祝辞     

平成31年2月25日

皆様お早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日まで長い間、教職員の皆様、御父兄の皆様並びに関係各位の皆様本当に御苦労様でございました。高い席からではございますが心より御慶び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せ付かっております 高校18回化学科を卒業した冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校いたしました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
また時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,664名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように116年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御卒業の301名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく、心強く思います。
皆さん方は今日ここに素晴らいし伝統と誇りに満ちあふれた県工を御卒業されました。
今迄の長いようでもあり短いようでもあったであろう学生生活に終止符が打たれる時が来ました。この3年間は人生80年と云われる今日、たったの3.75%でしかありません。
しかし、このケシ粒程の種は、貴方方の活用次第で一粒万倍にもなる可能性を秘めています。
当校で学ばれた基礎の基礎を大きく展開されて、大輪の花を開花させて頂きたく思います。
我が国は資源小国と常に言われて参りました。資源小国としての悩みは常に付き纏うものの、この逆境を教育と技術革新に求めて、人材育成に傾注してきた、その結果世界でも類い稀なる発展を遂げて参りました。
極東の奇跡と云っても過言ではないでしょう。
いくら資源大国であってもそれらの資源を生かす人材と技術がなければかえってこれらの資源が災を為す場合があります。
アフリカのアンゴラでは27年間も内戦が続きましたが、これも豊富な石油とダイヤモンド資源の利権による結果、災いをもたらされたと云われております。
最近では世界最大級の石油埋蔵量を誇る南米のべネズエラでは石油で得たお金をばらまくだけで、人材育成、技術革新等を怠った結果、未曽有のインフレーションに見舞われており、その率は途方もない%に達すると予想されています。
途上国における貴重な資源の発見は反って災危が降りかかる現象があり、この現象の事を「資源の呪い」と云われています。
天然資源に恵まれない日本では教育と技術革新で繁栄をつかんだと世界から評価されております。
資源小国という災いが反って繁栄に結びついている現実を見るにつけ、これからも先輩達がしてきたようにこの道を踏襲し続けていくべきではないでしょうか。
本校で学ばれた科学技術教育を礎として、たゆまぬ創意、工夫、努力をして、これからも今迄以上に豊かな国造りに励んでいって欲しく思います。
皆様方の抱かれている夢が一日も早く実現する事を心より祈念致しまして挨拶に変えさせて頂きます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。


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2018.04.11更新

平成30年4月9日

皆様御入学おめでとうございます。
春爛漫の此の良き日に御入学された事を殊の外嬉しく思います。
六甲の山々は春霞を衣に纏い、大輪田の泊りは春光を浴びて愈々輝きを増して、貴方方の明日への弥栄の扉を開いているようです。
校舎も校庭もこれからの三年を新入生諸君と共に喜怒哀楽を共にして、県工での想い出作りに励んでゆきたいと、心を澄ませば語りかけてくるような気がします。
 扨、私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長を仰せ付かっております高校18回化学科を昭和41年に卒業した冨金原伸伍でございます。我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,692名からなる大同窓会であります。組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように116年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、三年後、今日御入学された318名の方々が全員御入会頂ける事を心より嬉しく心強く思っております。
皆さん方は何かの縁しがあって本校に御入学されました。
今日から始まる当校での3年間の出来事を貴重な青春の物語として各人の心の奥底に綴っていって欲しく思います。
先人は人生に於いて何一つ無駄な事はないと云われております。
今の価値観で思いを巡らせてみても一毫の価値すらも見出せない事がありますが、嘗て無駄に思えたものが後年になって大きな価値を現してくる事が多々ありますので、この限られた3年間に何でも良いので良かれと思う事があれば己を信じて恐れず、怯まずに果敢の挑戦を挑んで欲しく思います。
「ローマは一日にして成らず」という諺を引用する迄もなく、全ての物事は多くの基礎のもとに築かれていくものであることを心して行かなければなりません。独活の大木の様にいくら外観が大きくても中身が疎であれば一陣の風にも耐えうる事は出来ないでしょう。
一筋一筋の年輪を怠る事無く刻んだ者にこそ、風雪に耐えた者にこそ、多くの艱難を越えて来た者にこそ、体力、智力、精神力と神仏の加護が備わってくる事でしょう。
「棟梁の木は沃土に育たず」という諺がありますが、肥沃な土地には強靭な木は育たないという事です。
この3年間の過ごし方一つで、皆さんの将来的展望は大きく変わってゆくと思います。
今日迄の過去の事は潔く捨て去り、眉を上げて希望の眼差しを未来に向けて注ぎ、一寸の光陰も軽んず事無く、自己の定めた目標に一心不乱に突き進んで行って欲しく思います。
一塵の中にも全ての世界が存在しており、一瞬の中にも永遠があると云われているので、一瞬一瞬に心血を注いで充実した県工時代における蛍雪の功を信じて過ごして下さい。
皆さん方の御健勝を心より祈念して、甚だ簡単ではございますが私からの挨拶とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。

2018.02.26更新

平成30年2月25日

皆様お早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日まで長い間、教職員の皆様、御父兄の皆様並びに関係各位の皆様本当に御苦労様でございました。高い席からではございますが心より御慶び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せ付かっております高校18回化学科を卒業した冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校いたしました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
また時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,399名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように116年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御卒業の293名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく、心強く思います。
我が「県工」が創立された明治期の日本はどのような時代であったのでしょうか。
開国時日本から輸出出来る物は絹と工芸品位しか無かったと思いますが、然しその当時の日本は識字率は世界一を誇っており、読み、書き、算盤等基本的な教育水準は他の諸外国に類をみない類い稀なる国として列強の人々の目に映った事と思います。そこで当時の為政者達は和魂漢才から和魂洋才に学びの方向性を切り替え、脱亜入欧を訴えつつ、洋の才を貪欲にも併呑してゆきました。此の時もただ西洋気触れすることなく、和の中に巧みに取り込み和洋折衷として日本の風雅な中に形を変え、品を変えて浸透していきました。
西洋の文化を唯無批判に受け入れる事無く、又隣国大韓民国の様に排外主義を専らとする事もなく、柳の様にしなやかに対応してゆきました。
その様な時代背景の中にあって、明治35年11月産声を上げ、県工創立の物語はこの時点から始まりました。
県下全域から幾多の優秀な学生が集結し、県工の物語を紡ぎ初めて今年で116年になります。兵庫県民の期待と夢を託されて今日に至っております。
34,000余の卒業生が祖国に及ぼした経済的ベースは20兆円余になろうかと私は推測しております。此の様にして本校が果たしてきた責務は多大なものがあります。今や云うに及ばず、此の一翼を担ってきたのは正に当校の卒業者であります。
日本は全てを国産化できる能力を有するようになりました。これは託された夢と期待を一身に受けて具現化して来た卒業生の意地とプライドの何物でもないと思います。
我々は日本が有る限り、県工がある限り、先人の思いを受け継いで今まで以上の努力を惜しまず、理想社会を築き上げてゆかなければなりません。
人というものは常に夢を持つ限り、大義に向かって公に尽くす限り、老いる事はなく、永遠の青年を生き抜く事が出来るでしょう。
最後になりましたがサムエル ウルマンの「青春」を朗読して締め括りたいと思います。

青 春
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

  人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる。
  人は自信と共に若く  失望と共に老ゆる。
  希望ある限り若く   失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

以上、サムエル ウルマンの「青春」の詩を朗読させて頂きました。これからの皆さんの益々の御発展と御成功を心より祈念して祝辞に変えさせていただきます。本日は誠におめでとうございます。

2017.07.28更新

御挨拶

兵庫工業倶楽部理事長
冨金原 伸伍

盛夏の候 同窓諸兄姉の皆様方の御健勝を心よりお慶び申し上げます。
兵庫工業倶楽部は、日頃より皆様方の熱き母校愛に支えられて健全なる運営がなされています。この書面を借りて御報告と共に改めて御礼申し上げます。
太陽の輝きは日を追うごとに益し、炎夏は、灼熱のエネルギーと化し、学舎に校庭に容赦なく降り注ぐ今日此の頃ですが、県工健児にあってはそれが如き酷暑をものともせず、寧ろその難を超越していく喜びを噛み締めて、学業に倶楽部活動に励んでいる姿を垣間見るにつけ、同窓の我々も曾てはあの校舎であの校庭で同様に未来に夢を託して切磋琢磨した事を重ね合わせると、セピア色に霞んだ淡き県工時代が、昔日の想い出が彷彿として蘇り、心中で逍遥し、うっとりとし乍ら筆を執っている次第です。
此の度、小河 徹校長先生が退職されました。本校に於いては2年間の在任でしたが、当校で長きに亘って採用されていた一括募集方式から各科別募集方式にシステムを抜本的に改変されました。又、その他多くの課題にも精力的に取り組まれた小河 徹校長先生には万感胸に迫る想いがあります。御退職後も矍鑠として御多幸であられん事を祈念致します。
尚、小河 徹校長先生の後任として、大川 真澄校長先生が着任されました。これからの2年間の御活躍を大いに御期待申し上げる次第であります。
 我が県工は明治35年11月兵庫県立工業高校として2学科、生徒数65名をもって開学いたしました。爾来、115年の年月を経た今日、8学科 960名を有する全国でも有数なる工業高校として発展して参りました。卒業者総数は34,399名を数え工業立国日本の一端を担い今日に至っております。
これからも日本と県工が共に有りて、工業立国の基としてその実力を発揮してゆかなければなりません。其れ故に学校と同窓が一丸となり毫厘の間隙をも許さず、(史記袁盎伝)一旦緩急あれば共に事に当り運命共同体として国と共に進歩発展し続けてゆかなければなりません。毛利元就の三本の矢の古事を引き合いに出すまでもなく、常に我々は共に強固な絆で結束して揺るぎ無ければ、どのような事が起ころうとも泰然として物事に動じず、人と人との絆が強固であればある程に如何なる困難があうとも、ものかわとして撥ね返す事が出来るでしょう。
その総ての根幹となるのは、儒教で謂う五常の一つ「信」の一語に尽きると想います。
県工と兵庫工業倶楽部の益々の発展を祈念しつつ擱筆致します。

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