2018.04.11更新

平成30年4月9日

皆様御入学おめでとうございます。
春爛漫の此の良き日に御入学された事を殊の外嬉しく思います。
六甲の山々は春霞を衣に纏い、大輪田の泊りは春光を浴びて愈々輝きを増して、貴方方の明日への弥栄の扉を開いているようです。
校舎も校庭もこれからの三年を新入生諸君と共に喜怒哀楽を共にして、県工での想い出作りに励んでゆきたいと、心を澄ませば語りかけてくるような気がします。
 扨、私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長を仰せ付かっております高校18回化学科を昭和41年に卒業した冨金原伸伍でございます。我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,692名からなる大同窓会であります。組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように116年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、三年後、今日御入学された318名の方々が全員御入会頂ける事を心より嬉しく心強く思っております。
皆さん方は何かの縁しがあって本校に御入学されました。
今日から始まる当校での3年間の出来事を貴重な青春の物語として各人の心の奥底に綴っていって欲しく思います。
先人は人生に於いて何一つ無駄な事はないと云われております。
今の価値観で思いを巡らせてみても一毫の価値すらも見出せない事がありますが、嘗て無駄に思えたものが後年になって大きな価値を現してくる事が多々ありますので、この限られた3年間に何でも良いので良かれと思う事があれば己を信じて恐れず、怯まずに果敢の挑戦を挑んで欲しく思います。
「ローマは一日にして成らず」という諺を引用する迄もなく、全ての物事は多くの基礎のもとに築かれていくものであることを心して行かなければなりません。独活の大木の様にいくら外観が大きくても中身が疎であれば一陣の風にも耐えうる事は出来ないでしょう。
一筋一筋の年輪を怠る事無く刻んだ者にこそ、風雪に耐えた者にこそ、多くの艱難を越えて来た者にこそ、体力、智力、精神力と神仏の加護が備わってくる事でしょう。
「棟梁の木は沃土に育たず」という諺がありますが、肥沃な土地には強靭な木は育たないという事です。
この3年間の過ごし方一つで、皆さんの将来的展望は大きく変わってゆくと思います。
今日迄の過去の事は潔く捨て去り、眉を上げて希望の眼差しを未来に向けて注ぎ、一寸の光陰も軽んず事無く、自己の定めた目標に一心不乱に突き進んで行って欲しく思います。
一塵の中にも全ての世界が存在しており、一瞬の中にも永遠があると云われているので、一瞬一瞬に心血を注いで充実した県工時代における蛍雪の功を信じて過ごして下さい。
皆さん方の御健勝を心より祈念して、甚だ簡単ではございますが私からの挨拶とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。

2018.02.26更新

平成30年2月25日

皆様お早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日まで長い間、教職員の皆様、御父兄の皆様並びに関係各位の皆様本当に御苦労様でございました。高い席からではございますが心より御慶び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せ付かっております高校18回化学科を卒業した冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校いたしました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
また時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,399名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように116年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御卒業の293名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく、心強く思います。
我が「県工」が創立された明治期の日本はどのような時代であったのでしょうか。
開国時日本から輸出出来る物は絹と工芸品位しか無かったと思いますが、然しその当時の日本は識字率は世界一を誇っており、読み、書き、算盤等基本的な教育水準は他の諸外国に類をみない類い稀なる国として列強の人々の目に映った事と思います。そこで当時の為政者達は和魂漢才から和魂洋才に学びの方向性を切り替え、脱亜入欧を訴えつつ、洋の才を貪欲にも併呑してゆきました。此の時もただ西洋気触れすることなく、和の中に巧みに取り込み和洋折衷として日本の風雅な中に形を変え、品を変えて浸透していきました。
西洋の文化を唯無批判に受け入れる事無く、又隣国大韓民国の様に排外主義を専らとする事もなく、柳の様にしなやかに対応してゆきました。
その様な時代背景の中にあって、明治35年11月産声を上げ、県工創立の物語はこの時点から始まりました。
県下全域から幾多の優秀な学生が集結し、県工の物語を紡ぎ初めて今年で116年になります。兵庫県民の期待と夢を託されて今日に至っております。
34,000余の卒業生が祖国に及ぼした経済的ベースは20兆円余になろうかと私は推測しております。此の様にして本校が果たしてきた責務は多大なものがあります。今や云うに及ばず、此の一翼を担ってきたのは正に当校の卒業者であります。
日本は全てを国産化できる能力を有するようになりました。これは託された夢と期待を一身に受けて具現化して来た卒業生の意地とプライドの何物でもないと思います。
我々は日本が有る限り、県工がある限り、先人の思いを受け継いで今まで以上の努力を惜しまず、理想社会を築き上げてゆかなければなりません。
人というものは常に夢を持つ限り、大義に向かって公に尽くす限り、老いる事はなく、永遠の青年を生き抜く事が出来るでしょう。
最後になりましたがサムエル ウルマンの「青春」を朗読して締め括りたいと思います。

青 春
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年
月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる
事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

  人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる。
  人は自信と共に若く  失望と共に老ゆる。
  希望ある限り若く   失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。

以上、サムエル ウルマンの「青春」の詩を朗読させて頂きました。これからの皆さんの益々の御発展と御成功を心より祈念して祝辞に変えさせていただきます。本日は誠におめでとうございます。

2017.07.28更新

御挨拶

兵庫工業倶楽部理事長
冨金原 伸伍

盛夏の候 同窓諸兄姉の皆様方の御健勝を心よりお慶び申し上げます。
兵庫工業倶楽部は、日頃より皆様方の熱き母校愛に支えられて健全なる運営がなされています。この書面を借りて御報告と共に改めて御礼申し上げます。
太陽の輝きは日を追うごとに益し、炎夏は、灼熱のエネルギーと化し、学舎に校庭に容赦なく降り注ぐ今日此の頃ですが、県工健児にあってはそれが如き酷暑をものともせず、寧ろその難を超越していく喜びを噛み締めて、学業に倶楽部活動に励んでいる姿を垣間見るにつけ、同窓の我々も曾てはあの校舎であの校庭で同様に未来に夢を託して切磋琢磨した事を重ね合わせると、セピア色に霞んだ淡き県工時代が、昔日の想い出が彷彿として蘇り、心中で逍遥し、うっとりとし乍ら筆を執っている次第です。
此の度、小河 徹校長先生が退職されました。本校に於いては2年間の在任でしたが、当校で長きに亘って採用されていた一括募集方式から各科別募集方式にシステムを抜本的に改変されました。又、その他多くの課題にも精力的に取り組まれた小河 徹校長先生には万感胸に迫る想いがあります。御退職後も矍鑠として御多幸であられん事を祈念致します。
尚、小河 徹校長先生の後任として、大川 真澄校長先生が着任されました。これからの2年間の御活躍を大いに御期待申し上げる次第であります。
 我が県工は明治35年11月兵庫県立工業高校として2学科、生徒数65名をもって開学いたしました。爾来、115年の年月を経た今日、8学科 960名を有する全国でも有数なる工業高校として発展して参りました。卒業者総数は34,399名を数え工業立国日本の一端を担い今日に至っております。
これからも日本と県工が共に有りて、工業立国の基としてその実力を発揮してゆかなければなりません。其れ故に学校と同窓が一丸となり毫厘の間隙をも許さず、(史記袁盎伝)一旦緩急あれば共に事に当り運命共同体として国と共に進歩発展し続けてゆかなければなりません。毛利元就の三本の矢の古事を引き合いに出すまでもなく、常に我々は共に強固な絆で結束して揺るぎ無ければ、どのような事が起ころうとも泰然として物事に動じず、人と人との絆が強固であればある程に如何なる困難があうとも、ものかわとして撥ね返す事が出来るでしょう。
その総ての根幹となるのは、儒教で謂う五常の一つ「信」の一語に尽きると想います。
県工と兵庫工業倶楽部の益々の発展を祈念しつつ擱筆致します。

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