2017.04.10更新

平成29年4月10日

皆様本日は御入学誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
桜花爛漫と咲き誇り、神戸の背景を彩る緑の山々は春霞の彼方に煙り、大輪田の泊りは春光に満ち満ちて明日への希望の輝きを放つ、
パステルで彩られた淡い水色の大空に包まれた学びの園からは、兵工賛歌が聞こえてくるようなこの佳き日に、新入生の皆さんの御入学を改めてお慶び申し上げます。
今日迄御父兄の皆様方に於かれましては大変御苦労様でした。皆様方は立派に御子息を御養育されました。御子息が百有余年の歴史ある県工に入学された事は紛れもなく、その事実を物語っております。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長を仰せ付かっております高校18回化学科を昭和41年に卒業した冨金原伸伍でございます。我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,399名からなる大同窓会であります。組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように114年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、三年後、今日御入学された320名の方々が全員御入会頂ける事を心より嬉しく心強く思っております。

今日御入学された皆さんは、只今県工という土俵に上がり同じスタートラインに立っているわけですが、その思いは十人十色と言われるように各人各様の思いがあろうかと思います。
入学時より卒業までの3年間を見据えてその過ごし方を鮮明に描き、その夢の実現の為に入学した者、又、何の方向性も目的も無く、況や着地点をイメージする事もなく、唯成り行きに身を任せて入学した者、其れ其れである事でしょう。然し、入学の動機は如何にあろうとも、今ここに輝かしい伝統と誇り高き歴史を有する県工という土俵に上がった事実があります。望むと望まざるとを問わずこの素晴らしい土俵に上がっている偶然にして必然の事実を認め、稀なる天与のチャンスが与えられた訳ですから見逃す手はありません。
この素晴らしい土俵で3年間見事な相撲を取って欲しく思います。
 学校は貴方方に全てを教える事は出来ません。又、皆さん方も全てを学ぶ事は不可能でしょう。要するに学校で学ぶ事は基礎の基礎であり、物事の本質を見極める事を学ぶのであります。この基礎を学ぶに当っては細心の注意を払って、微塵も疎かにしてはなりません。堅牢無比なる土台さえ築いておけば、後はその上に如何なる構築物をも自由自在に築くことが出来るでしょう。
学校での3年間は光陰矢の如しで、あっという間の出来事として過ぎ去って行く事でしょう。一所懸命に穿ち込めば穿ち込む程に、一心不乱になればなる程に、無心になればなる程に、一つの事に一途になればなる程に時間の認識が薄れていき、一瞬の内に3年間は終わって仕舞う事でしょう。
一瞬々々の中に心魂を込めて、有限の時間を無限大に活用し挑んで行って欲しく思います。
この事実は貴方方銘銘の歴史の中に克明に刻まれ、貴方方を生涯決して裏切らない事でしょう。これ等は全て財産として体躯と共にあり、四六時中、何時でも何処でも一生涯貴方と共にあり続け、バイタリティーの源泉となる事でしょう。学生時代に得た多くの体験と知の底辺は広大無辺に広がり、その上に築かれるものは無限大の高さを誇るピラミッドになる事でしょう。
誰にも侵されない、誰にも奪われない鉄壁のピラミッドは終生貴方と共に有ります。
水面に浮かぶ浮草は幾ら繁茂しても幾ら栄華を誇ってみても、一陣の風に敢え無く吹き飛ばされて跡形もなくなる事でしょう。
この世を浮世とはよく言ったもので、浮草の様に浮いているという意味があります。
浮いた世の中で浮草の様に流されない為には、一本の根を何処迄も伸ばし続け、池底に穿ち込み根を張る蓮の様になるしかありません。
流行りや廃りに目を奪われず、些細な事に一喜一憂せずに大地に根を下ろし、風が吹こうと嵐が来ようと、何の様な天変地異が起ころうとも、微動だにせず悠然と屹立して居ようではありませんか。
何処で咲こうと朽ちようと、泰然自若として居ようではありませんか。
江戸時代末期の僧 釋月性の詩に「人間到る処青山あり」と詠まれております。人は何処で死んでも青山即ち墳墓の地とする所はある。故郷を出て大いに活躍すべきであるとの意であります。
卒業してからではなく、今からこのような気概をもって挑んで欲しく思います。
 前述した事の全ては、今日から始まる県工での過ごし方一つに掛かっていると云っても過言ではありません。
これらの事を唐人の寝言として聞き流すのではなく、一顧して肝に銘ずべきであり、此の様な学生生活を過ごした貴方々は我々同窓の誇りであり、貴方の家族の栄であり、国の宝であります。
此の様な国民で満ち溢れる日本国は如何なる艱難辛苦が襲い掛かるとも、金城湯池の国として永遠不滅を約束されるでしょう。
貴方方と共に我々3万4千有余名の卒業生がおります。我々が築き上げてきたものの全てを後輩である貴方々に引き継ぎをする為にも、この3年間を有意義に過ごして頂きたく思います。
今日この場に於いて、私の思いの一端を永永と吐露させて頂きました。これをもちまして私からの御入学の祝辞に変えさせて頂きます。本日は御入学誠におめでとうございます。

2017.02.25更新

平成29年2月25日

皆様お早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日まで長い間、教職員の皆様、御父兄の皆様並びに関係各位の皆様本当に御苦労様でございました。高い席からではございますが心より御慶び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せ付かっております 高校18回化学科を卒業した冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校いたしました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
また時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,116名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように115年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御卒業の283名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく、心強く思います。
只今改めてもう一度皆さんのご卒業に対しておめでとうの言葉を敬意の念を込めて心より申し上げたく想います。
三年前大きな夢と希望を膨らませて御入学された事と思います。又在学中の過し方等色々と暗中模索されたことでしょう。 或る者は入学時から卒業時まで一貫して一心不乱に自己の掲げた目標を達成するべく邁進してきた事と想います。また目標が定まらず只徒に三年の年月が流れていくのを傍観者然として看過してきた者もいる事でしょう。
然し、何れにせよ何の様な過し方をしようとも、この三年間の経験は何一つ無駄なことはありません。
「荘子 人間世篇」の中にある無用の用に、一見何の役にも立たないように見えるものが反って大切な役割を果たしている事であります。
今この瞬間に如何なる虚無千万の不安が去来しようとも決して悲観等悲しみの感情にとらわれる事無く全ての負の因子はこの場に捨て去り、又明日から生まれ変わった気持ちで新しい人生への最善の道を模索し前進していって欲しく思います。
三年間の歩み方は夫々に百千の過し方があったでしょうが、少なくとも今日御卒業される皆さんの共通認識は県工という学び舎で共に過し、哀歓、苦楽を共にしてきた共通の歴史historyがhis storyとして皆さん方が経験してきた想い出の中に刻まれております。
この貴重な想い出を大事にして不撓不屈の精神で、タフで格好良く人生を歩んで欲しく思います。
今日を限りに巣立って行かれる貴方々には明日よりは今迄とは違う全く異なる世界が開かれております。
この世間という荒波に飲み込まれないように時には大胆不敵に時には細心熟慮を駆使して貴方々一人々に与えられた素晴らしい使命を手綱捌きも鮮やかに思い存分に果たしていって欲しく想います。
人間個人にしても国にしても将又世界にしても、一身が独立しなければ安心で安全で豊かな環境を築く事は出来ません。
一身を独立させるにはどうすべきであろうか!!
「孟子梁恵王臣」にあるように一定の財産、生業を持たない人は定まった正しい心がない。生活が安定しなくては心の安定はないといっております。
即ち恒産なきものは恒心なしという諺の中に端的に云い表されております。
又、現今の日本の情勢を俯瞰してみると外政にあっては中国との尖閣諸島領有権の問題、韓国との竹島領有権の問題、ロシアとの北方四島の帰属問題、北朝鮮の核・ミサイル問題、アメリカのトランプ大統領における新政権との問題等々、翻って国内問題をみてみると地震、洪水、火山爆発、台風等々の自然災害に始まり少子高齢化、労働力、社会福祉、年金、景気対策等々多くの人為的なものも会い俟って難題が山積し内憂外患の様相を体しておりますが、これ等の問題を解決する方法は如何に。
此れを人体に例えてみるならば体を包んでいる皮膚一枚外側には病気の原因となる有害な微生物が無数に存在しております。
これらの有害な微生物から体を守る方法として、攻撃は最大の防御として消毒薬とか抗生物質を投与する方法があります。
もうひとつの方法は自己免疫力を高めてどのような外部環境にも耐えうる精神力と体力を蓄えておく事、その為には日頃より健康に注意し、病気に罹らず丈夫でいられるように努める事、金剛不壊の身体を保持する事であり、日頃から時を惜しんで刻苦勉励し知的能力を養い、精神的、身体的免疫力を涵養し、鍛錬を怠らない事であります。そうすれば前述した近隣諸国の日本への理不尽な干渉や無理難題も瞬時の内に雲散霧消するでしょう。
又国民生活を圧迫している40兆円を越える医療費も相当額抑制する事が出来るでしょう。
年金の問題もすべて解決に向かうでしょう。
有史以来古今東西を問わず国を含めて組織というものは内部から崩壊することが多々有るようです。
紀元前八世紀頃に興ったローマ帝国は国名としてのローマであれば2206年間続きましたが、終末期には政争、反乱等が相次ぎ内部から瓦解し滅んでしまいました。
組織体というものは外圧には中々屈しませんが内部からの問題に於いて敢無くなるようです。
私共の住む素晴らしい国日本はローマ帝国のような末路を踏むような事、無きようにしなければなりせん。
貴方々が県工で学んだことの全てを礎として豊で安心安全な国そして世界に誇れるような道義的国造りを目差して欲しく思います。
今日から我々卒業生と共に足腰の強い逞しい日本国建設の為に取り組んで行こうではありませんか。
以上色々と述べさせて頂きましたが、貴方々の背後には3万4千有余名の卒業生がおられます。
その卒業生達が築き上げてきた優れて大きな基礎の上に貴方々が立っておられます。
我々多くの卒業生は貴方々の絶大なるよき援助者であらんとする者で、各方面において惜しみない手を差し伸べてくれる事でしょう。
これからの皆さんの益々の御発展と御成功を心より祈念して、祝辞にかえさせて頂きます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。

 

2016.04.09更新

平成28年4月8日

皆様本日は御入学誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
春風は大輪田の泊りより潮の香りを運び、六甲の山々は緑の息吹を吹き返す。学び舎は桜花の薫りを纏い、春爛漫として降り注ぐ日の光は今日御入学された皆様方を優しくお迎えしております。
今日迄御父兄の皆様方に於かれましては大変御苦労様でした。皆様方は立派に御子息を御養育されました。この百有余年の歴史ある県工に入学された事は紛れもなく、その事実を物語っております。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長を仰せ付かっております高校18回化学科を昭和41年に卒業した冨金原伸伍でございます。我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は34,116名からなる大同窓会であります。組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように114年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、三年後、今日御入学された320名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく心強く思っております。

今日御入学された皆さんはこれから3年間県工で学ばれます。
3年間という歳月は、本当に短いものであり油断をしていると光陰矢の如し、あっという間に過ぎ去って行く事でしょう。然しこの青春時代の一頁の3年間こそが非常に大切な時間でこの時期を迂闊に過ごすと将来に大きな禍根を残すことになると思います。
学校で学べる事は非常に小さな小さな芥子種の粒程の小さな事でしょう。然しこの小さな芥子種には1メートル以上にもなる大きな大きなエネルギーが内在しております。もし核分裂を起こさせる事が出来れば原爆の200万分の1位のエネルギーが潜んでいると私は想像します。
学校では基礎の基礎を学ぶのであって、この基礎を学ぶ事によってそれらを応用し、発展させ、開花させていくのです。学校で学び経験することは何れどのような形になるかは分かりませんが、事の結果の大小美醜は問えないけれども因果応報という形で貴方々の未来に形成されていくでしょう。良い学び方をした者、良い経験を積み重ねて来た者には其れ相応の果実が実っている事でしょう。
裏腹に不誠実な学び方や不純な行動の結果は論を待つ迄もなく不安と無気力、焦燥と暗澹たる暗い将来しかないでしょう。全ては貴方々が想い描き行動して来た結果の答えでしかありません。
あわよくばとかラッキーとかは通用しません。そのような事に期待せず精励、努力しよう。
まず高校生活に於いての目標を立てよう。
その目標に向かって汗をかこう。
目標達成の為には休む事なく一心不乱になって歩み続けよう。
目標に到達する迄、決して諦めないで忍耐しよう。
目標が成就するよう確固たる信念を持とう。
目標達成の為には自ら省みて正しければ敵対者や反対者がどんなに多くとも恐れる事なく自分の信ずる道を進もうと孟子が言い残しています。2300年程前の中国の思想家で王道政治を説いた人の言であります。又、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という古言は司馬遷が著した史記の中に見られます。意味としては、小さな者には大きな者の志は分らないという事です。誰もが理解し難い程の志を持って、この3年間挑んでみては如何でしょうか。
最後に明治期の福澤諭吉の著「学問のすすめ」の一部を引用して結びとしたいと思います。
生まれた時は平等だけれども・・・我らは同じ人であるのに仕事や身分に違いが出るのはどうしてだろうか。同じであるのに違うのならば違う部分があるのであり、その違う部分というものこそが学ぶと学ばないとにあるのである。人の違いは生まれつきにあるのではなく学問に励んだのか、学問に励まなかったかにあるのだ。天は人を平等に作るけれども人の世の中は平等には出来ていない。そして、その差は学問をしたかしなかったかによって生まれている。しかし乍ら福澤諭吉は「学問のすすめ」で学問の重要性を説いているけれども、この学問というのは机上の勉強に終止するものではなく世渡りをするのも商売をするのも時代の情勢を見つめるのも「学問」としており学問の本質は自分がどう活用できるかにかかっている。知識は議論により交換したり公開して広めるように努めなければならないとしております。願わくばこの3年間をフルに生かし全身全霊を打ち込んで価値ある県工時代を築き上げて欲しいと願いつつ御挨拶にかえさせて頂きます。
本日は御入学誠におめでとうございます。

2016.04.09更新

平成28年2月25日

皆様お早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日まで長い間、教職員の皆様、御父兄の皆様並びに関係各位の皆様本当に御苦労様でございました。高い席からではございますが心より御慶び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の 高校18回化学科を卒業した冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校いたしました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
また時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する全国でも有数の工業高校として発展して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,813名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。このように114年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御卒業の303名の方々が御入会頂ける事を心より嬉しく、心強く思います。
今日の此の佳き日に、皆さんは県工を巣立って行かれます。三年の長いようで短く想う学生生活であったと思います。
陰になり日向になり貴方方を今日迄教え導いてこられた恩師の諸先生方を始め、思い出深き校舎よ、校庭よ、さようならと告げて去って行く君達の雄々しき姿に、清楚で優しくも強き大和撫子に、いずれ日本の未来を支える父となり母となる日を重ね思い描くだけでも心から嬉しく頼もしく又力強くあり、先輩として祝着に存じます。今日、御卒業される皆さん方はこれからは諸兄姉、父母、祖父母弥諸先輩がしてきたように、今まで以上に刻苦勉励し骨身を惜しまず努力しなければなりません。
それは諸先輩達が日本の平和と安全、繁栄と豊かさを希求して今日の世界に冠たる日本を築き上げて来られた事に対してであります。
又この恩恵に浴して来た事に喜びと感謝をし、この伝統を誇りとして今日より明日、明日より未来へと繋ぎ永遠の発展を求めて進化してゆかねばなりません。
明治維新の頃、150年程前の日本が輸出出来るものは生糸ぐらいしかありませんでした。ところが今日の日本は如何でしょうか。
国民の所得はこの100年間で28倍にも達し、アメリカの防衛産業、特に航空機に至っては30%以上の精密機器は、made in Japanからなっており今や日本の製品なくしては空を飛べない状態になっております。自動車を製造するには20,000~30,000個の部品が必要とされて、自動車産業に係わる人々の数は全労働者数6,000万人余の中の9%に当るといわれております。H-IIAロケットで100万点、国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」で約200万点、人工衛星で数十万点に及び、全ての機器、部品は高い機能と同時に過酷な宇宙空間に耐えられる高い信頼性が求められておりますが、是等の殆ど全てと云っていい位の部品は純国産から成っております。是丈を見てもわかるように今や日本は地球上で生活する為に必要なあらゆるものを生産出来る人材とノウハウを蓄積しております。
日本は常に資源少国と云われ続けてきましたが然し、資源が幾ら豊富にあっても其れを利用できる技術力とそれを扱う有能なる人材が不可欠であります。先の大戦に於いては欧米は鉄鋼、石油等を日本へ禁輸する措置を取ろうとしてABCD包囲網を敷き日本への経済封鎖を行ないました。
昭和10年頃の事であります。日本はアメリカ、イギリス、中国、オランダによって兵糧攻めに遭いこの死活問題を突破する為に外交で破れた日本は戦争という手段を選んでしまいました。
然し敗戦を経て70余年たった今日の日本は世界から羨望の眼差しで見つめられる程の高度な経済成長を果たし成熟した民主主義国家を築き上げております。
日本人の勤勉さと実直さ、そして道義的精神性等が相俟ってこれ等の相乗効果の結果としての果実であり、

この美風は日本人として世界に誇るべきものであると私は堅く信じております。
この優秀な人的資質があったればこそであります。
この資質は幾世代にも亘って自然の中に育まれ涵養されてきたものです。
この成果が世代を超えてDNAの中に組み込まれております。
この素晴らしい天賦の素質の上にこれからの未来を築き上げてゆく貴方方はゼロからのスタートではない分非常に恵まれております。
況してや3年間という貴重な一時を県工で学び、人としてどうあるべきかの基本を多々学び、これから実社会へ出て大いに役立つであろう工業の基本も沢山学ばれました。
この盤石の基礎があればどんなに大きな構造物を創造しても微動だにしないでしょう。
創造性を豊かに、発想を無限大に展開させて欲しいと思います。
総ての事物は国というバックボーンがあっての事であり、私の体験上から一度外国へ出て少し苦労するとこの意味が身に沁みてよく分かると思います。
皆さん方も県工で学ばれた事を最大限に生かし自らの人生を声を高らかに謳歌して一身独立を計って欲しいと思います。
百数十年前に個人及び国家の独立自尊、社会の実利実益の尊重を福澤諭吉が説いておられます。
県工健児の皆さん!! 一時でも早く一身独立して世界も羨むような理想国家日本の国作りに励んで頂けるよう切にお願いしてご挨拶とさせて頂きます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。

 

2015.04.08更新

平成27年4月8日

皆さん本日は御入学誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
寒さ厳しき冬は去り学舎に校庭に春光は眩しく輝き皆さん方を優しく力強く御迎えいたしております。
今日に至る迄御父兄の皆様方に於かれましては大変御苦労様でございました。
貴方方は立派に御子息を御養育されました。この百有余年の歴史ある県工に入学された事は紛れもなく、その事実を物語っております。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,794名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように113年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、三年後、今日御入学された320名の皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

新入生の皆さんは今日から高校生活が始まります。
今までとは全く異なった環境に少しの緊張と戸惑いがあろうと思いますが、それもフレッシュマンとして今のみ味わう事の出来る貴重な体験として咬みしめ、記憶の中にしっかりと留めておいて欲しく思います。その時々の思い出こそ、その人の人生そのものであり、掛け替えの無いものであります。多き思い出こそが豊な未来を切り拓いていくものと思います。
ドイツ人は「想い出の無い人間は、故郷の無い人間と同じである」と言っていたように思います。
楽しい事、辛い事、苦しい事、全て貴重なる体験として貴方々の年輪として一つ一つ刻まれて行く事でしょう。
年輪が多い程大きな大木になり、年輪が緻密であればある程強くしなやかで粘りを増してゆく事でしょう。
急がず地道に地に足をつけて、己が進む道を信じて確実に地歩を進め、ひたすらその道を突き進んで欲しく思います。棟梁の木は沃土に育たずといいます。風雪に耐えた木こそが棟木として、又、梁として相応しい木として成長していきます。
又、早稲は小粒とか云われます。早く稔るけれども小さいという古事であります。
今は芽吹きが遅くても心配するなよ。今は生長が遅くても心配するなよ。
地歩を止める事なく歩み続けるならば、いつの日か目的地に辿り着くものと思います。
「大きな器は、早くは完成しない」と老子は云っております。
早く着く者遅く着く者、人には夫々の歩み方があるもので、人と較べる事も人と競争する事もなく、
願わくば全てが自分との戦いである事を知った上で日々努力して欲しく思います。
全ての行動は天が知る、地が知る、人が知る、己れが知る。
天道の厳粛な事を能く能く心に留めて誰も知らなくても自分が知る、
自分自身を偽る事は出来ないという事であり、故に自分に正直に生き抜き自分との戦いに打ち勝ち、
どのような事があろうともネバーギブアップの精神で白旗は忘れて行こう。
一寸先は何が起こるかわからないのが人生というものだから、
最後の最後まで油断せずに自分の目的が達成される事を只々信じて行こう。
そして貴方々が信じて進んだ道が、自他共に共感し喜びを分かち合えるような結果を得る事になれば、
この上ない人生の歩み方だと思います。
そのような事を吉田松陰は「名利のために学問をしたり、暗記力や記憶力がいい為、
学問が好きだから学問をするようなことでは駄目だ。世の中を良くする、現実を変革するという志のもとに、時代を開く為に尽す志が大切だ。」と教えたといいます。
皆さん方の県工での3年間の過ごし方がこのようであればと祈念しつつ私からの御祝いの言葉と致します。
本日は誠におめでとうございます。

2015.02.28更新


平成27年2月25日

皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方本当に御苦労様でございました。高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております 高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,511名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように113年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御卒業の283名の方々が御入会して頂ける事心より嬉しく、又心強く思います。
皆さん方は今日県工を巣立って行かれます。長いようでも振り返ってみれば、あっという間の3年間であったであろうと思います。
勉学に勤しんだ者、汗をかき体を鍛えスポーツに励んだ者、又、文化活動等に心血を注いだ者、其々の過ごし方があり三年間があったと思います。想い出が一杯詰まった校庭に校舎に、燦々と降り注ぐ太陽に青空に風に、その時々の時物に、風情に、さようならと云って巣立って行く君達に大きな拍手を送りたい。
これからの国を背負って行く君達に大きなエールを送りたい。
人間到る処青山あり、故郷を出て大いに活躍すべきであるとの意味であります。今日、県工を巣立ち地球を狭しと大いに活躍して欲しく思います。曾て貴方々の諸先輩達がしてきたように。
今少し県工の生い立ちを考察してみましょう。
明治元年1868年9月8日、270年余に及んだ幕藩体制が終焉を迎え封建制から日本資本主義形成を樹立するべく明治政府が成立致しました。
最大の目的は欧米列強下に屈する事なく彼等に追いつき追い越せの号令一下、五千万有余の国民は一つの目的の為に一丸となり、火の玉となって突き進み国力を高め一等国入りを目指しました。
開国後僅か20年余ともなれば軍艦からマッチに至る迄、全てが国産化されました。
これは他の亜細亜諸国が為す術もなく植民地化されていったのとは真逆の道を歩んだという事になります。
それは日本人の人的質の高さ故という処に帰結するでしょう。
此の様な中にあって県工は産声を挙げました。日本は科学工業立国として、世界と対峙し、又、凌駕していこうという壮大な夢を現実と化する為に県下より優秀なる若人を集めてその目的の為に邁進して来ました。
祖国発展の為、113年間貢献してきた事は紛れもない事実であります。
日清、日露両戦争で勝利に沸き酔い痴れた時代、大東亜戦争敗戦により多くのものを失い、途方に暮れ曾て経験した事のない古今未曾有の困難に遭遇した時代もありましたが、その度に人的資源に恵まれた我が国は不死鳥の如く甦り幾多の困難をも物ともせず克服して参りました。近代化日本を目指して146年余経た今日、我々の目指してきた目的は、ほぼ達成されてきたのではないかと思えるような錯覚さえ覚える今日此頃であります。
医療にあっては最先端医療や高度医療機器が進む中、世界をリードするのは再生医療分野としての人工多能性幹細胞(IPS細胞)、エボラ出血熱対策としての医薬品「アビガン」等は目下、世界から注視されている処であります。
高速鉄道新幹線は開業以来50年余の間、乗車中の利用者の死亡事故ゼロを続ける安全性と一列車当りの平均遅延時間は1分未満を実現する断トツの技術力で挑んでおり自然災害がなければ殆ど遅延がなく、安全性と技術力は世界一であります。
平成39年度に開業予定のリニア中央新幹線は、現在運行中の中国は上海エリアの難易度の低い常電導方式による浮上1cm程度のリニアモーターではなく、日本が目指す超電動リニアモーターは10cm迄浮上させるものであり、より高い浮上はそれだけ安全性が高いといわれております。
理化学研究所と富士通が共同で開発したスーパーコンピューターについては「京」を実現し、世界第1位の計算速度を目指しており、
ロボット産業についてはパワードスーツを装着する事により重労働を軽減できるようになってきました。
ロケット産業にあってはH2Aロケットに代りH3ロケットが開発中であります。H2Aは皆さんもよくご存知の小惑星探査機「はやぶさ」の打ち上げ成功で連続20回に伸ばし、成功率は96.1%で世界最高水準を誇っております。又H3ロケットの打ち上げ能力はH2Aの2倍に増強、打ち上げ費用は半額の50億円を目指しており、打ち上げ能力は7tにもなり、パワーと低コストへの戦いに挑んでおります。
飛行機にありましてはYS-11以来実に40年ぶりの国産旅客機となるMRJが注目を浴びており、三菱リージョナルジェットがその正式名ですが中型ジェットとして世界の空を結ぶ予定であります。
世界需要5000機中その半分の2500機をMRJとしたいと三菱は意気込んでおり頼もしい限りであります。
自動車にあっては究極のエコカーFCVがいよいよ登場して参りました。水素を使い燃料電池で発電しモーターを駆動するもので排出するものは水のみであり、嘗ては1億円かかったものが今では500万円で出来るとの事であります。
他方クールジャパンの面では日本のウイスキーが世界の三大ウイスキーの一つとして数えられるようになり「世界のウイスキーアワード」で2度の世界最高賞を受賞しております。
日本の和紙も嘗てはレンブラント、ピカソやシャガール達が版画作製に好んで和紙を使ったことはよく知られております。そして今も和紙は世界中のアーティスト達に選ばれており、ユネスコ世界無形文化遺産の対象になった細川紙が名を馳せております。
和食もユネスコ世界無形文化遺産に選ばれたのはもう皆さん周知の通りであります。
今ここで取り上げたこれらの事はほんの一部であり、その潜在的数たるや枚挙に遑がありません。
このように世界へ向って躍進する日本の科学技術及びクールジャパンと称する日本文化の発信基地として、世界が認める日本、ハードとソフトの両面作戦で世界に影響する我が国を誇り高く思います。
然し乍ら懸念材料も多々あるのも看過する訳にはいきません。
陽の当る処ばかりが日本ではありません。少子高齢化で人口が毎年10万人以上減少し続けており、このまま行けば10年後には神戸市の人口がすっぽりと日本から無くなってしまいます。
高度成長期以来都市化が進み国民の食料を支える農地が荒廃して久しく、減反政策が進み今や40万haが休耕田と化しており、その面積たるや埼玉県の広さに匹敵するといわれております。
食糧自給率は39%にまで下落しており食糧安全保障面からみるなれば日本を潰すのに武器はいらない、食糧を禁輸すればよいという事になります。又その食料たるやキュウリ1本を取ってみても出荷される迄に74回も農薬を掛けて作るという事を聞いて唖然としてしまいました。多かれ少なかれ総てがこのような事ですから、我々の口に入るものは総じて危険極まりない物ばかりといっても過言ではないように思います。それが証拠に1億総半病人国家の体をなしている事実であります。これだけ医療が発達しているにも拘わらず病人の数が増えても減らないという現実が、この事実をよく物語っております。
医療が病気を治すのではなく医療は飽く迄も補助的なものでしかないという事に気づくべきであります。
私達の体は免疫力とか抵抗力とか自然治癒能力で回復していくものであり、「医食同源」とはこの事をよく言い表しております。摂取した食物が血となり肉となる、良きものを食すれば 自ずと健康な体が保障され悪しきものを食すれば体は弱体化していきます。
今や国家の運営費に匹敵する額が医療費に費やされております。
一昨年の医療費は因みに39.2兆円でありました。国を支えるのは飽く迄も国民であり健全なる国民が住む国は国家安泰であり豊であると思います。
これからの我々の進むべき道は科学技術の構築と共に安全なる食の供給に心を割くべきであります。
県工健児よ県工魂でこの国が豊か葦原瑞穂の国として世界が羨むような眩しく輝く国となるように専念していただけるよう切に祈念致しまして私からの祝辞に替えさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。



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2014.04.08更新

平成26年4月8日

皆さん、今日は。本日は御入学誠におめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。
日本の大空は我が国土、豊か葦原の瑞穂の国を覆い、春風は大輪田の泊の汐の香りを運び、
春爛漫の校庭には花色も優しく色鮮やかに桜花は咲き誇り、今日の佳き日に、
新入生の皆様方を御迎え出来る事、喜び一入であります。
今日に至る迄御父兄の皆様方に於かれましては大変御苦労様でございました。
貴方方は立派にお子様を御養育されました。この百有余年の歴史ある県工に入学された事は紛れもなく、
その事実を物語っております。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております
高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、
生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、
大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,046名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように112年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された320名の皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

新入生の皆様方は今日より県工健児として、三歳の間当校で学ばれますが、
この学校を選ばれた理由目的は個々夫々に異なるものがあろうかと思います。
同床異夢というのでしょうか、同じ学窓に身を置きながらも見る夢は異なるという意味であり、
行動を共にしながらも意見や考え方が違うという事でもあります。
然しながら県工という同じ船に乗ったからには3年後の卒業のその日迄
互いに励まし合い、助け合い、苦楽を共にしながら、
又、喜怒哀楽という人間のさまざまな感情や経験を経糸に、
そして緯糸に縦横無尽に操り乍ら美しい綾織物を織って下さい。
時には金糸銀糸も混じえ栄光ある輝かしい誉を織り込んで欲しく思います。

皆さん方が思う3年間は気の遠くなる程の長い道程に感じておられるかも知れませんが、
このひと時は今しか存在しないひと時であります。二度と同じ時を過ごし経験することは出来ません。
今を生きる事の重要さを咬み締めて欲しく思います。      
 今日の一滴の汗が貴方の将来を支えるであろうか、今の君にはあまり理解出来ないと思います。
今日の少しの努力が未来の君の大きな基礎になるであろう事を今の君には余り実感出来ない事と思います。
然し、この3年間で学ぶ事は、学んだ分だけ君の未来に花を添える事になろうかと思います。
一雫の汗は決して君を裏切らない!!
一片の学問も学んだ事は君を決して裏切らない!!
善き経験も悪しき経験も何一つ無駄なことはなく、それらを否定する事無く全てを容認して、
貪欲に飲み込み血となし、肉となして、スケールの大きな人物になるように目指して欲しく思います。
「無欲は大欲に似たり」という諺があります。
余りにも大きな欲望は大き過ぎて人知の知り及ばないものだから一見何も欲していないように見え、
無欲恬淡としているように見えるものであります。
一生涯かけても成就出来ないような大きな目標を掲げて歩む事が肝心なところであります。
目標をしっかりと掲げたらその目標に向かって一歩一歩地歩を固めて進むべし。
疎かにせず確実に進もう。たとえ山があろうと谷があろうと、将又川があろうと、
只々ひたすらに無我夢中、一心不乱になって没頭しよう。
そうすれば目標の100は無理としてもその中の10とか20とか、
或いはそれ以上の成果は必ず得る事は出来るはずであります。
目標を決めたらその時その時の世の中、時世に心を惑わされる事なく脇目もふらずに
信じた道を歩んで欲しく思います。たとえ世間がなんと云おうとも!!
そして願わくば王陽明の説く「認識と実践を一致させよ!!」という知行合一を踏襲して欲しく思います。
知る事は行う事と一致して初めて知った事になります。
学んでも行動を起こさず理屈を述べているだけでは知らぬ事と同じであるという意味であります。
 県工時代に多くのことを学ぼう!! 
 そして学んだ事を行動に移そう!!
学んで行う又楽しからずやの精神で学生生活を大いに楽しんで下さい。
又、有意義な県工時代を築かれん事を心より祈念致しまして私からの御祝辞とさせて頂きます。
 本日は誠におめでとうございます。

2013.04.01更新

平成25年4月8日
皆さん、今日は。本日は御入学誠におめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
春の訪れと共に国の花、桜花は気高く輝き爛漫と咲き誇る姿は
何物にも変え難く美しく優しく皆さん方の今日迄の成長と、
新たなる県工健児としての未来を暖かく抱き見守ってくれているように思います。
薄桃色に咲き乱れる桜花を始め、山川草木国土も皆悉く
青春の歓喜を唄い雀躍し御入学を祝福致しております。

御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方、今日のこの良き日を迎えるに当たり、
御子息を斯くも立派に御養育された事に高い席からではございますが
満身に思いを込めて敬意を表したく思います。御苦労様でございました。
私は現在、兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております
高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,046名からなる
大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

皆さん方は今日、県工という学び舎に御入学されました。
貴方方の先輩の一人として大慶至極に存じます。
51年前に入学した当時の事を今改めて回顧する次第ですが、
皆さん方は今迄の15年間の経験値で、これからの3年間を探らなければなりません。
闇の中を手探りで行くようなものと思います。
未知の世界に入り踏査する探検家のようでもあります。
大きな夢と期待、又それに伴う不安も多々あろうかと思いますが
御心配等なにもなさらずに県工110年の輝く伝統に身を委ねて、
先達が築き上げた優れた成果、立派な働き、
これらの功績を礎にして大きく大きく育って欲しく思います。
人生をマラソンに例える人がいます。人生を登山に喩える人もいます。
何れも出発がありゴールがあるという事でありますが
人が生まれて紆余曲折し喜怒哀楽を経験して一生を歩み、
そしてゴールに辿り着くという事であります。
皆さん方は何かの御縁があって今日、県工に入学されました。
この御縁を最大限に生かし活用して欲しく思います。
今、スタート地点に立った皆さんからすると、
3年後のゴールは途方もなく遠い存在であるかも知れません。
しかし、振り返ってみれば長いようでも、あっという間の3年間であると思います。
この短い三歳の月日を一日も疎かにせず日々精進して欲しく思います。
県工時代の3年間は想い出作りの3年間として励んで欲しく思います。
県工時代に体を鍛え勉学に励んだ事等、
多くの経験は今は理解出来ないかもわかりませんが、
何時か必ず役に立つ時があります。人生を歩む上において偶然は無いといいます。
好い事も悪しき事も全ては必然性の中にあるといいます。
善き事の連続性も無ければ悪しき事ばかりという事もありません。
良いと思われる経験も忌むべき不快に思う経験も全て
自らを育てる為に必要不可欠な経験であると捉えるべきだと思います。
温かい御飯を一杯食べれば冷や飯を一杯食べなければならないとも云う人がいます。
糾える縄のように表裏は一体となって存在しておりコインの裏表と同じで
表大なれば裏も又大なりという事になります。
大きな喜び事の後には必ず大きな杞憂が存在するという事にもなります。
+-ゼロというのが人生という事であるのかも知れません。
そうなれば多くの深い経験を積んだ人は大きな器、
大きな人間的魅力を醸すのではないでしょうか。そうであればこそ、
県工時代の3年間は何事にも恐れず怯まず躊躇等せずに、
若者の特権である有り余るエネルギーと時間を
スポーツに学問に注ぎ打ち込んで欲しく思います。
この時期に築き上げた体力、知力、経験は途方途轍もないものであり
貴方方の人生を支える大きな力であり財産となります。
世界の道はローマに通じると云われておりますが
凱旋門はそれを象徴的に物語っております。
県工の校門も同様世界に通じる門であり
この校門を潜れば道は世界に通じております。
諸君の先輩達が切り拓いた世界が広がっております。
故に、この道を一歩踏み出し歩もう。君達に必要なのは、
自己が立てた目標に向って一歩を踏み出す勇気だけであります。
その為には健全なる肉体と健全なる精神、鍛え抜かれた身体と
不撓不屈の精神力が必須、不可欠であります。
貴方方が目的地に辿り着く為には長く困難な道のりを
歩き通さなければなりませんがその為には
知力を駆使しなければなりません。
知恵、知識なき行動は多くの徒労に帰する事になるでしょう。
骨折って働いても役に立たず、無益な労苦を費やさない為にも、
学問的基礎を充分に培って欲しく思います。
心、技、体、三位一体となるように努力して下さい。
精神力だけでも駄目です。
力なき精神力は無力であります。
強い肉体を持つだけでも駄目です。
ただ強いだけの徳性劣る者は野獣と化すでしょう。
肉体をよく制する精神性を涵養しましょう。
この貴重な学生生活に於いて最も大切な事はこのような事になろうかと思います。
少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。
月日の経つのは早く、まだ若いと思っているうちに年老いてしまうが
学問はなかなか成就し難い、若いうちから一刻も無駄に過ごさず
学問に励まなければならないという古人の言であります。
この言葉を最後に私からの御祝辞とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。
ありがとうございました。


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2013.02.26更新

平成25年2月25日
皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、御父兄の皆様方並びに
関係各位の皆様方本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を
仰せつかっております高校18回化学科を卒業致しました
冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,757名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の輝ける伝統と歴史に支えられた
兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御入会して頂ける事
心より嬉しく、又心強く思います。
 昨年は110周年記念式典を立派に挙行する事が出来ました事、
改めてこの場を借りて御報告致したく思います。
 明治35年県工創立期の日本は如何にあったのでしょうか。
何故県工という工業人育成の為の学校が必要であったのでしょうか、
今我々はこの歴史的背景を検証するべきであります。
当時の日本は220年間にも及ぶ鎖国がようやく解き放たれ、
諸外国に門戸を開いた時でした。
幕末のこの時にあっても鎖国を続け一国主義を貫き通し
今迄通りの日本の国体を護持しようとする者、
開国をして日本を発展させ、日本を存亡の危機から守るべきだと
主張する者、甲論乙駁の議論が百出しその結果開国への道を
歩む事になりました。しかし乍ら科学技術、工業技術等、
欧米の先進諸国と比べるまでもなく、彼我の差は歴然としておりました。
一日も早く工業化を果たし、工業立国を打ち立てる必要がありました。
当時の日本は貧しく富も資源もありませんでした。
しかし素晴らしい人的資源に恵まれており、
識字率は当時世界一でありました。士農工商という封建制の中で
身分制度があるにも拘らず、多くの日本人は読み書きそろばんが出来ました。
即ち考える能力があったという事であります。
又、日本人は本質的に何にでも興味を持つ好奇心の塊のような
民族性があったとも当時の外国人が評しております。
 開国間もない明治期の為政者達は外国を広く見聞し、
先進諸外国を商人国家として看破しこれならば20数年もあれば追いつく事が
出来るという洞察力の元、社会的諸関係や人間の価値観、封建的な因習、
様式等を脱して合理的、科学的、民主的になる為の近代化を
矢継ぎ早に打ち立てていきました。
極東の名も知れない小国が産声をあげて間もなく,
清国、露国と干戈を交えこの二強大国を打ち破る事が出来たのは
数多くの天佑神助に負う処多々あったであろうと思いますが、
その時々の政治的リーダー達、其れを良しとして一丸となった日本人の
アイデンティティーによる処と思います。
日本人の特性とされる一旦緩急あれば義勇公に奉じる精神性は
今の日本人にもしっかりと受け継がれているように思います。
先の東日本大震災に於ける原発メルトダウンを防止する為に
多くの原発技術者達が身命を賭して、自らが志願をして突入し、
原発の爆発を回避させたと聞き及んでおります。
日本人は国家、国民が存亡の危機に曝された時、
国民は覚醒して一体化し国難を排してきたように思います。
今日の日本は戦後レジーム(枠組み)の中で68年間過ごして参りました。
憲法を始め多くの仕組みが制度疲労しているにも拘わらず、
変化を恐れ、改革、革新を遠ざけて参りました。
失われた20年と称して、今の日本は製造業を始め多くの産業が疲弊し、
悲鳴を上げております。
今の日本程、新機軸を求められている時はない様に思います。   
この苛酷な世界の中で日本は生き延びていく術はあるのでしょうか。
諸賢にお聞きしたいところであります。
地球の歴史を振り返って見る時、その答えは自ずと出されております。
中生代に栄え、絶滅した巨大な爬虫類の一種、恐竜がそうであります。
今から約2億4700万年前から約6500万年前迄の間、1億8200万年間
地球上で最強を誇っていた動物ですが、
ある時期を迎えるや否や一瞬の中に絶滅してしまいました。
彼等の種として唯一生存する事が出来たのは鳥類のみとなっています。
絶滅した理由として、気候の変化、隕石衝突説とか、色々といわれておりますが、
詰まる所恐竜たちは激変する地球環境に適応出来なかったと言う事になります。
事実この変化に適応して
現在に至る迄生存を維持している種も多々あるとか聞いております。
我々ホモサピエンスにも当てはまります。
20万年前に出現し2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人を始め、
クロマニヨン人、デニソワ人、フローレンス人等、地球上に出現しましたが
ホモサピエンスを除きそのいずれもが地球環境に敵応出来ずに
滅びてしまいました。唯一現存するのが我々現生人類の属する
ホモサピエンスであります。
結論として云える事は、強者は生き残る事は出来ない
という事であります。弱者も生き残ることは出来ません。
唯一生き残る事が出来るのはその時々の環境に
適応出来たものに限られます。即ち適者生存という事になります。
このような地球の歴史、栄枯盛衰の推移を冷静に見つめる事により
日本の未来の答えも進むべき道も見えてくるように思われます。
 我々はこの戦後68年間の中、失われた20年間の間は特に変化を求めず、
夢うつつに過ごしてきたのではないかと思います。
日本の商品の多くもガラパゴス化し、日本一国のみに通用する物ばかりを作り出し、
世界に通用しない商品群を生み出すに至ってしまいました。
当然の事乍ら輸出力に劣る事になります。
その間隙を突いて、新興国が労働力の安さを武器に追い上げて参りました。
特に白物家電に至っては部品の寄せ集めで作る事が出来るので、
日本の競争力の低下は火を見るよりも明らかであります。
このように見てきますと日本は沈んでいくばかりで、
もう二度と日の目を見ることが出来ないのではないかと思い悩んでしまいますが、
今の日本はそんな柔な国ではありません。経済力は依然として
世界第3位を誇っております。2009年時点で国民の総貯蓄額は
1500兆円はあろうかと思います。国が880兆円の財政赤字を抱えていますが、
国民は依然として金持ちであります。
日本の対外純資産も21年連続で世界最大となり、
2011年時点で253兆円となっております。このように考えてきますと
何等憂うる事はなく、今までの舵取りがまずかっただけという事になります。
押してダメなら引いてみなという諺があるように、
今迄のやり方の正反対の事をやれば良いと言うことになります。
端的に云えばデフレーションがダメ日本を作ってしまったのならば、
その真逆のインフレーションにすれば良いと言う事になります。
只一言付け加えておかなければならない事は、過ぎたるは及ばざるが如しで、
何事も良い加減、いい塩梅でなければなりません。
今日御卒業される県工健児の皆さん、皆さん方は県工の学び舎で
3年間という短い期間ではありましたが、体育、知育、徳育という崇高なる
教育を享受してこられました。これ等の素晴らしい基礎を土台として
明日から社会に於いて大きな大きな大輪の花を咲かせて欲しく思います。
県工健児諸君、後を振り向かず前進あるのみ、
向上心あるのみの人生を歩んで下さい。
県工時代に培った不撓不屈の県工魂で頑張って下さい。
そして、貴方方の栄えある一時代を築き謳歌して下さい。
貴方方の多くの先輩諸氏もその時々の時代を担い
夢を追い一生懸命に生き抜いて来ました。
事の善し悪しは後世の歴史家にその判断は任せるとしても、
歴史を今の価値観で裁くような愚かなことはせずに、
その事実を学ぶべきであります。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという事をしっかりと認識して下さい。
明日より貴方方は広大な世界に夢を膨らませてその実現の為に切磋琢磨し、
惜しみない努力をして下さい。一度しかない人生を精一杯生き抜いて下さい。
適者のみ生存出来ることを肝に銘じて下さい。
適応する為に改革を恐れてはいけません。革新に躊躇してはいけません。
少しの勇気と努力と想像力と気概でこの困難な時代を乗り越えていきましょう。
悔いのない人生を送られん事を切に祈念致しております。
私達、兵庫工業倶楽部は皆さんの若い力を大いに期待しております。
私達OBは皆さん方の応援団として控えております。
将来的に何かあるようでしたら御遠慮等なさらずに甘えられたらよかろうかと思います。
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さん方、県工健児の行く末を見守っております。
幸多かれの言葉をもって私からの御挨拶とさせて頂きます。 
本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.12.12更新

御祝辞
創立110周年に想う

此の度、兵庫県立兵庫工業高等学校が
創立110周年を迎えられました事、心よりお祝い申し上げます。
又、この記念すべき大きな節目に創立110周年記念事業実行委員会委員長を
仰せつかりました事、身に余る光栄であると共に大へん恐縮致しております。
私は、現在兵庫工業倶楽部理事長の大役を担っております
高校18回工業化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,929名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられてきました。
県工は265年間にも及ぶ徳川の幕藩体制が終焉し、
開国がなされ明治という新元号を拝載し、
新政府が開闢された35年後に創立されました。
 
江戸末期、アメリカのペリーによる砲艦外交になす術もなく、
右往左往する幕府、欧米列強と交わす不平等条約等
言い出せば切りがない程の不安定、不確実、屈辱の要素が山積されていました。
当時の亜細亜を見渡してみれば、日本とタイ王国の二国のみを残し
他の国々は惨憺たるもので、悉く欧米列強の植民地と化しておりました。
そのような危急存亡の中で列強による植民地化政策を排除し
独立国として厳存する為にはどうすればよいのだろうか、
明治期の憂国の士は粉骨砕身の思いで新しい国造りを目差しました。
或る者は先進工業、民主主義を学ぶ為に米国へ、或る者は憲法、
軍学を学ぶ為にドイツへ、或る者は土木技術、
騎兵の運用術を学ぶ為にフランスへ、
或る者は殖産興業を学ぶ為にイギリスはマンチェスターへ、
優秀なる頭脳を持った多くの若者達が日本の現状を憂え乍らも、
日本の将来に大きな夢と希望を託し近代国家建設の為に
先進諸外国に赴き、多岐に亘る多くの知識を貪欲に吸収し
日本に持ち帰りました。
又、他方では優秀なる外国人を多数招聘し
彼等から多くの事物を学ぶ事にも成功致しました。

其の時代の日本人はただ西洋かぶれをして
無条件に是れ等を受け入れたのではなく、
此れ等の多くは日本化され和洋折衷、
和魂洋才という形で我が国の土壌の中に
自然に溶け込み根付いていきました。
此の様な中で日本は欧米先進国に追いつけ追い越せと、
国民は一丸となって励み、国富を蓄え国家の近代化を果たそうと心掛けました。
工業立国日本、技術立国日本、輸出立国日本を目差しました。
この近代日本の黎明を告げる文明開化の一翼を担うものとして、
喫緊の問題は工業技術者の育成という事になります。
農・林・水産業等 第1次産業から脱却し
1日も早く都市化、工業化を計る必要性がありました。

従って県工はこのような時代背景の中で、明治35年に産声をあげました。
日本の未来を拓く技術者集団を涵養する目的の為に・・・・・。
県工は兵庫県民の注視する中その目的を見事に果たして参りました。
110年の伝統と歴史に支えられ乍ら、32,929名の多くの技術者を輩出し
工業立国の礎を築いてきたのは紛れもない事実であります。
これからも日本がある限り県工はその時代時代の要請に応えながら、

技術立国日本を支え続けていくことを切に祈念しながら
私からの御祝辞とさせて頂きます。
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