2012.11.27更新

平成24年2月24日

皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。
衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、
御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方
本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。

私は昨年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております 
高校18回化学科を卒業致しました冨金原 伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。

又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は32,644名から
なる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
本日御入会して頂ける事心より嬉しく、又心強く思います。

皆さん方は、今日より県工という学び舎から巣立って行かれます。
長いようでも振り返ってみればあっという間の3年間ではなかったかと思います。
今日から社会人としての道を歩む者、又、更に学業を積まんとして
再び学窓の門を叩く者、夫れ夫れ様々なる道を選択肢として選び歩んで行かれます。

本校が我が国に誕生した110年前の日本は明治35年でした。
その時の日本は如何にあったでしょうか。
日清戦争が終って8年、日露戦争の始まる2年前です。
その頃の我が国は、脱亜入欧の名の下、欧米列強に
追いつけ追い越せとばかり形振り構わず全国民が
一つの方向を信じて突き進んでゆきました。
そのような中で県工は兵庫県下全域より優秀なる若人を集め
未来の日本の産業を支える技術者を育成するべく産声を上げました。

その時々の時代の要請に応えるべく多くの優れた人材を輩出し、
その時代の一翼を担ってきた先輩諸氏を誇りに思います。
又、大東亜戦争になり不幸にも敗戦の苦汁を飲む事になりました、
国土は焦土と化しますが、それでも日を置かずして復興の槌音は全国に谺し、
戦後19年経った時にはアジアで初めての開催国になる
東京オリンピックが挙行されました。
廃墟の中からたった19年間で世界でも最たる国として台頭してきました。
世界最速の弾丸列車、新幹線が華々しく登場し
技術立国日本を世界に向けてアピール致しました。
東京オリンピックに合わせての事でした。

吉田茂内閣の経済優先政策、池田勇人内閣による所得倍増、高度経済成長
政策等、政界も官界も財界も国民も豊かさを求めて、
夜を日についで頑張り、世界第二位の経済力を誇る国になりました。
20年前のバブル崩壊迄、経済的豊かさイコール幸せと信じて、
日本人はただひた走りに走ってきました。事の善し悪しは別として、
当時の我々には進むべき目標とか対象がありました。

その後、失われた20年として今の日本は政、官、財はおろか
全国民に至るまで進むべき道を見失い国難と称して、
只々オロオロするばかりであります。
誰もリーダーシップがとれない、とらない状態が続いております。

この我が国に追い討ちをかけるようにして阪神淡路大震災が起こり、
又、昨年は東日本大震災が襲いました。
天変地異に見舞われ原発という人災の洗礼も受けております。
経済はリーマンショック以来、ギリシャに端を発した債務危機は
欧州経済の下落を引き起こし、言い出せばきりのない
未曾有の状態を我が国、日本はおろか全世界に呈しております。
正に出口の見えない不透明な世界とでも云いましょうか。
カオスの時代を今我々は生きているように思います。
然し混沌とし、混乱している秩序なき状態なればこそ、
又同時に全ての事物を生み出す事の出来る根源でもあると云えると思います。
 
 皆さん方は、今、正しくこのような中に立っている、
大変厳しい中に立たされている訳ですが、
そこに少しの勇気があれば、そこに少しの創意と工夫があれば、
そこに少しの努力があれば、そこに少しの愛と優しさがあれば、
そこに夢と希望と、眉上げて未来を希求する輝ける瞳があれば、
必ずや、いつの日か、今日御卒業される県工健児である皆さんの前途には
有望な道が拓かれていくものと信じています。
私共の若い頃にはよく言ったものです。
お天道さんと米の飯は付いて回る。
何も心配するな、やるだけやれと言う励ましの古人の言葉です。
 
 又、我々の先達、上杉鷹山は「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり」と言い残しました。
江戸中・後期の米沢藩主であった鷹山は、最早財政破綻をしていた
米沢藩の改革に務め、質素、倹約を率先励行、財政改革、殖産興業、
新田開発を行い藩政を立て直しました。
彼の死後、十数年後に借金は完済されたと記憶しております。
実に70年間をかけての財政再建計画でした。
 
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さんの若い力を大いに期待しております。
私達OBは皆さん方の応援団として控えております。
将来的に何かあるようでしたら御遠慮等なさらずに甘えられたらよかろうかと思います。
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さん方、県工健児の行く末を見守っております。
幸多かれの言葉をもって私からの御挨拶とさせて頂きます。   
本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

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