2012.12.12更新

御祝辞
創立110周年に想う

此の度、兵庫県立兵庫工業高等学校が
創立110周年を迎えられました事、心よりお祝い申し上げます。
又、この記念すべき大きな節目に創立110周年記念事業実行委員会委員長を
仰せつかりました事、身に余る光栄であると共に大へん恐縮致しております。
私は、現在兵庫工業倶楽部理事長の大役を担っております
高校18回工業化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,929名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられてきました。
県工は265年間にも及ぶ徳川の幕藩体制が終焉し、
開国がなされ明治という新元号を拝載し、
新政府が開闢された35年後に創立されました。
 
江戸末期、アメリカのペリーによる砲艦外交になす術もなく、
右往左往する幕府、欧米列強と交わす不平等条約等
言い出せば切りがない程の不安定、不確実、屈辱の要素が山積されていました。
当時の亜細亜を見渡してみれば、日本とタイ王国の二国のみを残し
他の国々は惨憺たるもので、悉く欧米列強の植民地と化しておりました。
そのような危急存亡の中で列強による植民地化政策を排除し
独立国として厳存する為にはどうすればよいのだろうか、
明治期の憂国の士は粉骨砕身の思いで新しい国造りを目差しました。
或る者は先進工業、民主主義を学ぶ為に米国へ、或る者は憲法、
軍学を学ぶ為にドイツへ、或る者は土木技術、
騎兵の運用術を学ぶ為にフランスへ、
或る者は殖産興業を学ぶ為にイギリスはマンチェスターへ、
優秀なる頭脳を持った多くの若者達が日本の現状を憂え乍らも、
日本の将来に大きな夢と希望を託し近代国家建設の為に
先進諸外国に赴き、多岐に亘る多くの知識を貪欲に吸収し
日本に持ち帰りました。
又、他方では優秀なる外国人を多数招聘し
彼等から多くの事物を学ぶ事にも成功致しました。

其の時代の日本人はただ西洋かぶれをして
無条件に是れ等を受け入れたのではなく、
此れ等の多くは日本化され和洋折衷、
和魂洋才という形で我が国の土壌の中に
自然に溶け込み根付いていきました。
此の様な中で日本は欧米先進国に追いつけ追い越せと、
国民は一丸となって励み、国富を蓄え国家の近代化を果たそうと心掛けました。
工業立国日本、技術立国日本、輸出立国日本を目差しました。
この近代日本の黎明を告げる文明開化の一翼を担うものとして、
喫緊の問題は工業技術者の育成という事になります。
農・林・水産業等 第1次産業から脱却し
1日も早く都市化、工業化を計る必要性がありました。

従って県工はこのような時代背景の中で、明治35年に産声をあげました。
日本の未来を拓く技術者集団を涵養する目的の為に・・・・・。
県工は兵庫県民の注視する中その目的を見事に果たして参りました。
110年の伝統と歴史に支えられ乍ら、32,929名の多くの技術者を輩出し
工業立国の礎を築いてきたのは紛れもない事実であります。
これからも日本がある限り県工はその時代時代の要請に応えながら、

技術立国日本を支え続けていくことを切に祈念しながら
私からの御祝辞とさせて頂きます。

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