2013.04.01更新

平成25年4月8日
皆さん、今日は。本日は御入学誠におめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
春の訪れと共に国の花、桜花は気高く輝き爛漫と咲き誇る姿は
何物にも変え難く美しく優しく皆さん方の今日迄の成長と、
新たなる県工健児としての未来を暖かく抱き見守ってくれているように思います。
薄桃色に咲き乱れる桜花を始め、山川草木国土も皆悉く
青春の歓喜を唄い雀躍し御入学を祝福致しております。

御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方、今日のこの良き日を迎えるに当たり、
御子息を斯くも立派に御養育された事に高い席からではございますが
満身に思いを込めて敬意を表したく思います。御苦労様でございました。
私は現在、兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております
高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,046名からなる
大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

皆さん方は今日、県工という学び舎に御入学されました。
貴方方の先輩の一人として大慶至極に存じます。
51年前に入学した当時の事を今改めて回顧する次第ですが、
皆さん方は今迄の15年間の経験値で、これからの3年間を探らなければなりません。
闇の中を手探りで行くようなものと思います。
未知の世界に入り踏査する探検家のようでもあります。
大きな夢と期待、又それに伴う不安も多々あろうかと思いますが
御心配等なにもなさらずに県工110年の輝く伝統に身を委ねて、
先達が築き上げた優れた成果、立派な働き、
これらの功績を礎にして大きく大きく育って欲しく思います。
人生をマラソンに例える人がいます。人生を登山に喩える人もいます。
何れも出発がありゴールがあるという事でありますが
人が生まれて紆余曲折し喜怒哀楽を経験して一生を歩み、
そしてゴールに辿り着くという事であります。
皆さん方は何かの御縁があって今日、県工に入学されました。
この御縁を最大限に生かし活用して欲しく思います。
今、スタート地点に立った皆さんからすると、
3年後のゴールは途方もなく遠い存在であるかも知れません。
しかし、振り返ってみれば長いようでも、あっという間の3年間であると思います。
この短い三歳の月日を一日も疎かにせず日々精進して欲しく思います。
県工時代の3年間は想い出作りの3年間として励んで欲しく思います。
県工時代に体を鍛え勉学に励んだ事等、
多くの経験は今は理解出来ないかもわかりませんが、
何時か必ず役に立つ時があります。人生を歩む上において偶然は無いといいます。
好い事も悪しき事も全ては必然性の中にあるといいます。
善き事の連続性も無ければ悪しき事ばかりという事もありません。
良いと思われる経験も忌むべき不快に思う経験も全て
自らを育てる為に必要不可欠な経験であると捉えるべきだと思います。
温かい御飯を一杯食べれば冷や飯を一杯食べなければならないとも云う人がいます。
糾える縄のように表裏は一体となって存在しておりコインの裏表と同じで
表大なれば裏も又大なりという事になります。
大きな喜び事の後には必ず大きな杞憂が存在するという事にもなります。
+-ゼロというのが人生という事であるのかも知れません。
そうなれば多くの深い経験を積んだ人は大きな器、
大きな人間的魅力を醸すのではないでしょうか。そうであればこそ、
県工時代の3年間は何事にも恐れず怯まず躊躇等せずに、
若者の特権である有り余るエネルギーと時間を
スポーツに学問に注ぎ打ち込んで欲しく思います。
この時期に築き上げた体力、知力、経験は途方途轍もないものであり
貴方方の人生を支える大きな力であり財産となります。
世界の道はローマに通じると云われておりますが
凱旋門はそれを象徴的に物語っております。
県工の校門も同様世界に通じる門であり
この校門を潜れば道は世界に通じております。
諸君の先輩達が切り拓いた世界が広がっております。
故に、この道を一歩踏み出し歩もう。君達に必要なのは、
自己が立てた目標に向って一歩を踏み出す勇気だけであります。
その為には健全なる肉体と健全なる精神、鍛え抜かれた身体と
不撓不屈の精神力が必須、不可欠であります。
貴方方が目的地に辿り着く為には長く困難な道のりを
歩き通さなければなりませんがその為には
知力を駆使しなければなりません。
知恵、知識なき行動は多くの徒労に帰する事になるでしょう。
骨折って働いても役に立たず、無益な労苦を費やさない為にも、
学問的基礎を充分に培って欲しく思います。
心、技、体、三位一体となるように努力して下さい。
精神力だけでも駄目です。
力なき精神力は無力であります。
強い肉体を持つだけでも駄目です。
ただ強いだけの徳性劣る者は野獣と化すでしょう。
肉体をよく制する精神性を涵養しましょう。
この貴重な学生生活に於いて最も大切な事はこのような事になろうかと思います。
少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。
月日の経つのは早く、まだ若いと思っているうちに年老いてしまうが
学問はなかなか成就し難い、若いうちから一刻も無駄に過ごさず
学問に励まなければならないという古人の言であります。
この言葉を最後に私からの御祝辞とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。
ありがとうございました。


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2013.02.26更新

平成25年2月25日
皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、御父兄の皆様方並びに
関係各位の皆様方本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を
仰せつかっております高校18回化学科を卒業致しました
冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,757名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の輝ける伝統と歴史に支えられた
兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御入会して頂ける事
心より嬉しく、又心強く思います。
 昨年は110周年記念式典を立派に挙行する事が出来ました事、
改めてこの場を借りて御報告致したく思います。
 明治35年県工創立期の日本は如何にあったのでしょうか。
何故県工という工業人育成の為の学校が必要であったのでしょうか、
今我々はこの歴史的背景を検証するべきであります。
当時の日本は220年間にも及ぶ鎖国がようやく解き放たれ、
諸外国に門戸を開いた時でした。
幕末のこの時にあっても鎖国を続け一国主義を貫き通し
今迄通りの日本の国体を護持しようとする者、
開国をして日本を発展させ、日本を存亡の危機から守るべきだと
主張する者、甲論乙駁の議論が百出しその結果開国への道を
歩む事になりました。しかし乍ら科学技術、工業技術等、
欧米の先進諸国と比べるまでもなく、彼我の差は歴然としておりました。
一日も早く工業化を果たし、工業立国を打ち立てる必要がありました。
当時の日本は貧しく富も資源もありませんでした。
しかし素晴らしい人的資源に恵まれており、
識字率は当時世界一でありました。士農工商という封建制の中で
身分制度があるにも拘らず、多くの日本人は読み書きそろばんが出来ました。
即ち考える能力があったという事であります。
又、日本人は本質的に何にでも興味を持つ好奇心の塊のような
民族性があったとも当時の外国人が評しております。
 開国間もない明治期の為政者達は外国を広く見聞し、
先進諸外国を商人国家として看破しこれならば20数年もあれば追いつく事が
出来るという洞察力の元、社会的諸関係や人間の価値観、封建的な因習、
様式等を脱して合理的、科学的、民主的になる為の近代化を
矢継ぎ早に打ち立てていきました。
極東の名も知れない小国が産声をあげて間もなく,
清国、露国と干戈を交えこの二強大国を打ち破る事が出来たのは
数多くの天佑神助に負う処多々あったであろうと思いますが、
その時々の政治的リーダー達、其れを良しとして一丸となった日本人の
アイデンティティーによる処と思います。
日本人の特性とされる一旦緩急あれば義勇公に奉じる精神性は
今の日本人にもしっかりと受け継がれているように思います。
先の東日本大震災に於ける原発メルトダウンを防止する為に
多くの原発技術者達が身命を賭して、自らが志願をして突入し、
原発の爆発を回避させたと聞き及んでおります。
日本人は国家、国民が存亡の危機に曝された時、
国民は覚醒して一体化し国難を排してきたように思います。
今日の日本は戦後レジーム(枠組み)の中で68年間過ごして参りました。
憲法を始め多くの仕組みが制度疲労しているにも拘わらず、
変化を恐れ、改革、革新を遠ざけて参りました。
失われた20年と称して、今の日本は製造業を始め多くの産業が疲弊し、
悲鳴を上げております。
今の日本程、新機軸を求められている時はない様に思います。   
この苛酷な世界の中で日本は生き延びていく術はあるのでしょうか。
諸賢にお聞きしたいところであります。
地球の歴史を振り返って見る時、その答えは自ずと出されております。
中生代に栄え、絶滅した巨大な爬虫類の一種、恐竜がそうであります。
今から約2億4700万年前から約6500万年前迄の間、1億8200万年間
地球上で最強を誇っていた動物ですが、
ある時期を迎えるや否や一瞬の中に絶滅してしまいました。
彼等の種として唯一生存する事が出来たのは鳥類のみとなっています。
絶滅した理由として、気候の変化、隕石衝突説とか、色々といわれておりますが、
詰まる所恐竜たちは激変する地球環境に適応出来なかったと言う事になります。
事実この変化に適応して
現在に至る迄生存を維持している種も多々あるとか聞いております。
我々ホモサピエンスにも当てはまります。
20万年前に出現し2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人を始め、
クロマニヨン人、デニソワ人、フローレンス人等、地球上に出現しましたが
ホモサピエンスを除きそのいずれもが地球環境に敵応出来ずに
滅びてしまいました。唯一現存するのが我々現生人類の属する
ホモサピエンスであります。
結論として云える事は、強者は生き残る事は出来ない
という事であります。弱者も生き残ることは出来ません。
唯一生き残る事が出来るのはその時々の環境に
適応出来たものに限られます。即ち適者生存という事になります。
このような地球の歴史、栄枯盛衰の推移を冷静に見つめる事により
日本の未来の答えも進むべき道も見えてくるように思われます。
 我々はこの戦後68年間の中、失われた20年間の間は特に変化を求めず、
夢うつつに過ごしてきたのではないかと思います。
日本の商品の多くもガラパゴス化し、日本一国のみに通用する物ばかりを作り出し、
世界に通用しない商品群を生み出すに至ってしまいました。
当然の事乍ら輸出力に劣る事になります。
その間隙を突いて、新興国が労働力の安さを武器に追い上げて参りました。
特に白物家電に至っては部品の寄せ集めで作る事が出来るので、
日本の競争力の低下は火を見るよりも明らかであります。
このように見てきますと日本は沈んでいくばかりで、
もう二度と日の目を見ることが出来ないのではないかと思い悩んでしまいますが、
今の日本はそんな柔な国ではありません。経済力は依然として
世界第3位を誇っております。2009年時点で国民の総貯蓄額は
1500兆円はあろうかと思います。国が880兆円の財政赤字を抱えていますが、
国民は依然として金持ちであります。
日本の対外純資産も21年連続で世界最大となり、
2011年時点で253兆円となっております。このように考えてきますと
何等憂うる事はなく、今までの舵取りがまずかっただけという事になります。
押してダメなら引いてみなという諺があるように、
今迄のやり方の正反対の事をやれば良いと言うことになります。
端的に云えばデフレーションがダメ日本を作ってしまったのならば、
その真逆のインフレーションにすれば良いと言う事になります。
只一言付け加えておかなければならない事は、過ぎたるは及ばざるが如しで、
何事も良い加減、いい塩梅でなければなりません。
今日御卒業される県工健児の皆さん、皆さん方は県工の学び舎で
3年間という短い期間ではありましたが、体育、知育、徳育という崇高なる
教育を享受してこられました。これ等の素晴らしい基礎を土台として
明日から社会に於いて大きな大きな大輪の花を咲かせて欲しく思います。
県工健児諸君、後を振り向かず前進あるのみ、
向上心あるのみの人生を歩んで下さい。
県工時代に培った不撓不屈の県工魂で頑張って下さい。
そして、貴方方の栄えある一時代を築き謳歌して下さい。
貴方方の多くの先輩諸氏もその時々の時代を担い
夢を追い一生懸命に生き抜いて来ました。
事の善し悪しは後世の歴史家にその判断は任せるとしても、
歴史を今の価値観で裁くような愚かなことはせずに、
その事実を学ぶべきであります。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという事をしっかりと認識して下さい。
明日より貴方方は広大な世界に夢を膨らませてその実現の為に切磋琢磨し、
惜しみない努力をして下さい。一度しかない人生を精一杯生き抜いて下さい。
適者のみ生存出来ることを肝に銘じて下さい。
適応する為に改革を恐れてはいけません。革新に躊躇してはいけません。
少しの勇気と努力と想像力と気概でこの困難な時代を乗り越えていきましょう。
悔いのない人生を送られん事を切に祈念致しております。
私達、兵庫工業倶楽部は皆さんの若い力を大いに期待しております。
私達OBは皆さん方の応援団として控えております。
将来的に何かあるようでしたら御遠慮等なさらずに甘えられたらよかろうかと思います。
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さん方、県工健児の行く末を見守っております。
幸多かれの言葉をもって私からの御挨拶とさせて頂きます。 
本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.12.12更新

御祝辞
創立110周年に想う

此の度、兵庫県立兵庫工業高等学校が
創立110周年を迎えられました事、心よりお祝い申し上げます。
又、この記念すべき大きな節目に創立110周年記念事業実行委員会委員長を
仰せつかりました事、身に余る光栄であると共に大へん恐縮致しております。
私は、現在兵庫工業倶楽部理事長の大役を担っております
高校18回工業化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,929名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられてきました。
県工は265年間にも及ぶ徳川の幕藩体制が終焉し、
開国がなされ明治という新元号を拝載し、
新政府が開闢された35年後に創立されました。
 
江戸末期、アメリカのペリーによる砲艦外交になす術もなく、
右往左往する幕府、欧米列強と交わす不平等条約等
言い出せば切りがない程の不安定、不確実、屈辱の要素が山積されていました。
当時の亜細亜を見渡してみれば、日本とタイ王国の二国のみを残し
他の国々は惨憺たるもので、悉く欧米列強の植民地と化しておりました。
そのような危急存亡の中で列強による植民地化政策を排除し
独立国として厳存する為にはどうすればよいのだろうか、
明治期の憂国の士は粉骨砕身の思いで新しい国造りを目差しました。
或る者は先進工業、民主主義を学ぶ為に米国へ、或る者は憲法、
軍学を学ぶ為にドイツへ、或る者は土木技術、
騎兵の運用術を学ぶ為にフランスへ、
或る者は殖産興業を学ぶ為にイギリスはマンチェスターへ、
優秀なる頭脳を持った多くの若者達が日本の現状を憂え乍らも、
日本の将来に大きな夢と希望を託し近代国家建設の為に
先進諸外国に赴き、多岐に亘る多くの知識を貪欲に吸収し
日本に持ち帰りました。
又、他方では優秀なる外国人を多数招聘し
彼等から多くの事物を学ぶ事にも成功致しました。

其の時代の日本人はただ西洋かぶれをして
無条件に是れ等を受け入れたのではなく、
此れ等の多くは日本化され和洋折衷、
和魂洋才という形で我が国の土壌の中に
自然に溶け込み根付いていきました。
此の様な中で日本は欧米先進国に追いつけ追い越せと、
国民は一丸となって励み、国富を蓄え国家の近代化を果たそうと心掛けました。
工業立国日本、技術立国日本、輸出立国日本を目差しました。
この近代日本の黎明を告げる文明開化の一翼を担うものとして、
喫緊の問題は工業技術者の育成という事になります。
農・林・水産業等 第1次産業から脱却し
1日も早く都市化、工業化を計る必要性がありました。

従って県工はこのような時代背景の中で、明治35年に産声をあげました。
日本の未来を拓く技術者集団を涵養する目的の為に・・・・・。
県工は兵庫県民の注視する中その目的を見事に果たして参りました。
110年の伝統と歴史に支えられ乍ら、32,929名の多くの技術者を輩出し
工業立国の礎を築いてきたのは紛れもない事実であります。
これからも日本がある限り県工はその時代時代の要請に応えながら、

技術立国日本を支え続けていくことを切に祈念しながら
私からの御祝辞とさせて頂きます。

2012.12.12更新

平成24年4月9日

皆さんこんにちは。
本日は御入学誠におめでとうございます。
心より御祝い申し上げます。

楼花爛漫と咲き誇り、馥郁たる香りは遥蕩う蝶の如く学窓を漂い、
春風駘蕩、春風がそよそよと快く吹くさまは、
青春そのものを象徴している季節であります。
新入学生諸君を天も感応、地神も能受し、
歓天地喜の様相を呈し天地をあげて
兵庫工業高等学校へ県工健児として、
入学を歓迎致しております。

御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方、
今日のこの良き日を迎えるに当たり、
御子息を斯くも立派に御養育された事に
高い席からではございますが満身に思いを込めて
敬意を表したく思います。御苦労様でございました。
私は現在、兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております 
高校18回化学科を卒業致しました冨金原 伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、
960名を有する全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に
卒業者総数は32,929名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

皆さん方は、今日県工という学び舎に入学されました。
本日より此の先三年間の道程の一歩を踏み出すわけですが、
皆さんにとっては生まれてこの方15年の経験値で、
将来の3年を見据えなければなりません。
18分の3、即ち17%は全く想像もつかない未知の世界に挑む事になります。
人生経験を積んだとしてもたった15年間の経験でしかありません。
今日から県工を舞台にしたドラマをどのように描いていくのでしょうか。
皆さんにとってこれからの学生生活は気の遠くなるような
3年間に映っているかも知れません。
然し過ぎ去って振り返ってみる時、あっという間の年月であったと思います。
後の後悔先に立たずと先人は言いました。
明日、明日と今日の事を先延ばしにせず、
一日一生を生きる気概で県工時代を過ごして頂きたいと思います。
この3年間で、この学校と共にどこまで想い出作りが
出来るか挑戦してみて下さい。よりドラマチックに、
そしてドラスチックに青春を県工と共に謳歌して下さい。

毎日通った学び舎の道と校門に 想い出を心に
夕映えの白い校舎に 想い出を心に
学友と共に学び語った声谺す教室の 想い出を心に
朋友と共に青空を仰ぎ見た校庭での 想い出を心に
クラブ活動で額に汗をし仲間と励んだ運動場の 想い出を心に
先生 先輩 後輩そして同期の皆と刻んだ 想い出を心に
学校にある全ての物 一木一草に到る迄に 想い出を心に

このように青春期を象徴する県工生時代の一時期の過ごし方は、
良きにつけ悪しきにつけ大きな方向性が決定づけられる
極めて大事な一時でもあります。
このような学校生活で得られる経験は大変貴重なもの有益なるものと
なるでしょう。楽しい経験も辛い経験も全て人生の肥やしとしての
経験を積むべきであり、この県工時代に培った珠玉の経験は
皆さん方の将来を決して欺く事はなく、
きっと素晴らしい結果を導いてくれる指標となる事でしょう。
 
北海道大学の前身札幌農学校に勤められた初代教頭クラークは、
学校を去るにあたって学生達に「少年よ大志を抱け」 Boys, be ambitious.
若者は大きな志をもつ事によって、大きな夢を達成できるという励ましの言葉であります。
事実、その感化を受けた新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾等
多くの学生たちは明治期の日本の発展の為に大きな貢献を致しました。
 
皆さん方は何か深いご縁があって、今日県工に入学されました。
この御縁を大切に生かし乍ら刻苦勉励に務め、
蛍雪時代を有意義に過ごさん事を祈念して私からの御祝いの言葉と致します。
 本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.11.27更新

平成24年2月24日

皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。
衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、
御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方
本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。

私は昨年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております 
高校18回化学科を卒業致しました冨金原 伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。

又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は32,644名から
なる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
本日御入会して頂ける事心より嬉しく、又心強く思います。

皆さん方は、今日より県工という学び舎から巣立って行かれます。
長いようでも振り返ってみればあっという間の3年間ではなかったかと思います。
今日から社会人としての道を歩む者、又、更に学業を積まんとして
再び学窓の門を叩く者、夫れ夫れ様々なる道を選択肢として選び歩んで行かれます。

本校が我が国に誕生した110年前の日本は明治35年でした。
その時の日本は如何にあったでしょうか。
日清戦争が終って8年、日露戦争の始まる2年前です。
その頃の我が国は、脱亜入欧の名の下、欧米列強に
追いつけ追い越せとばかり形振り構わず全国民が
一つの方向を信じて突き進んでゆきました。
そのような中で県工は兵庫県下全域より優秀なる若人を集め
未来の日本の産業を支える技術者を育成するべく産声を上げました。

その時々の時代の要請に応えるべく多くの優れた人材を輩出し、
その時代の一翼を担ってきた先輩諸氏を誇りに思います。
又、大東亜戦争になり不幸にも敗戦の苦汁を飲む事になりました、
国土は焦土と化しますが、それでも日を置かずして復興の槌音は全国に谺し、
戦後19年経った時にはアジアで初めての開催国になる
東京オリンピックが挙行されました。
廃墟の中からたった19年間で世界でも最たる国として台頭してきました。
世界最速の弾丸列車、新幹線が華々しく登場し
技術立国日本を世界に向けてアピール致しました。
東京オリンピックに合わせての事でした。

吉田茂内閣の経済優先政策、池田勇人内閣による所得倍増、高度経済成長
政策等、政界も官界も財界も国民も豊かさを求めて、
夜を日についで頑張り、世界第二位の経済力を誇る国になりました。
20年前のバブル崩壊迄、経済的豊かさイコール幸せと信じて、
日本人はただひた走りに走ってきました。事の善し悪しは別として、
当時の我々には進むべき目標とか対象がありました。

その後、失われた20年として今の日本は政、官、財はおろか
全国民に至るまで進むべき道を見失い国難と称して、
只々オロオロするばかりであります。
誰もリーダーシップがとれない、とらない状態が続いております。

この我が国に追い討ちをかけるようにして阪神淡路大震災が起こり、
又、昨年は東日本大震災が襲いました。
天変地異に見舞われ原発という人災の洗礼も受けております。
経済はリーマンショック以来、ギリシャに端を発した債務危機は
欧州経済の下落を引き起こし、言い出せばきりのない
未曾有の状態を我が国、日本はおろか全世界に呈しております。
正に出口の見えない不透明な世界とでも云いましょうか。
カオスの時代を今我々は生きているように思います。
然し混沌とし、混乱している秩序なき状態なればこそ、
又同時に全ての事物を生み出す事の出来る根源でもあると云えると思います。
 
 皆さん方は、今、正しくこのような中に立っている、
大変厳しい中に立たされている訳ですが、
そこに少しの勇気があれば、そこに少しの創意と工夫があれば、
そこに少しの努力があれば、そこに少しの愛と優しさがあれば、
そこに夢と希望と、眉上げて未来を希求する輝ける瞳があれば、
必ずや、いつの日か、今日御卒業される県工健児である皆さんの前途には
有望な道が拓かれていくものと信じています。
私共の若い頃にはよく言ったものです。
お天道さんと米の飯は付いて回る。
何も心配するな、やるだけやれと言う励ましの古人の言葉です。
 
 又、我々の先達、上杉鷹山は「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり」と言い残しました。
江戸中・後期の米沢藩主であった鷹山は、最早財政破綻をしていた
米沢藩の改革に務め、質素、倹約を率先励行、財政改革、殖産興業、
新田開発を行い藩政を立て直しました。
彼の死後、十数年後に借金は完済されたと記憶しております。
実に70年間をかけての財政再建計画でした。
 
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さんの若い力を大いに期待しております。
私達OBは皆さん方の応援団として控えております。
将来的に何かあるようでしたら御遠慮等なさらずに甘えられたらよかろうかと思います。
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さん方、県工健児の行く末を見守っております。
幸多かれの言葉をもって私からの御挨拶とさせて頂きます。   
本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.07.13更新

平成24年6月27日

第172回   神戸ST会  7月例会の御案内

拝啓 梅雨の候 皆々様に於かれましては益々御健勝の御事心より御慶び申し上げます。
今年は冷夏なのでしょうか、6月末というのにあまり暑くはなさそうですね。
梅雨時の特有のジメジメとしたあの独特の蒸し暑さが感じられませんが・・・・・・・・・。
 しかし乍ら時の移ろいは確かなようで、雨に打たれてますます鮮やかな藍青色に変化を見せる
ボールのようなまあるい形をした紫陽花の花、
包み込むような豊かな甘さ香る純白のくちなしの花、五月も負けじとばかり紅紫の美麗な景色を演じている。
百花繚乱の花園は梅雨の季節ならではの花の競演を楽しんでいるようだ。
 扨、今月の催しですが久し振りにteketeke屋にて執り行います。
この間、偶然にある居酒屋でテケテケ屋のオヤジこと新美 淳一さんにお会いしました。
そのような事で急遽決定致しました。
当日はエレキギターでベンチャーズ等、昔懐かしい時代ものの曲を思いっきり演奏していただきます。
リクエストも可です。宜しくお願いします。                                      敬具

 
  ゲストの方も多数お誘い合わせ下さい。
  パーティー会場をご紹介下さい。

 
日 時   7月10日 (第2火曜日)  18:30~ 
               
場 所 teketeke屋
     神戸市中央区北長狭通2-5-1 タイシンサンセトビル6F
  TEL 078-391-1923

     会 費    5,000円






2012.04.18更新

1.西洋医学と東洋医学の今日

私の専門としています東洋医学から見た身体の陰陽
論については、専門といってもとても哲学的なことで
すので、東洋医学を勉強した人なら、陰陽論がわかっ
ているかとか、陰陽論を駆使して東洋医学を施してい
るかということは、非常に疑問です。そういうことは
学校では全く習いませんし、そういうものの必要性の
認識が無い中で、ただ、西洋医学的な治療の中に東洋
医学の技術を活かしているというのが現実のように思
われます。というのは、西洋医学には病名があります。
色々な症状が出るでしょう。その色々な症状を考察し
て、病名をつけるわけで、その病名に対して治療法が
あるんです。これが西洋医学的な治療パターンです。
ですから、新しい病気が出たときには病名がありませ
んから、治療方法がないわけなんです。
例えばエイズが出ました。
エイズという病気が出ても、エイズに対する治療法は
ないんです。病名が付くまでは。病名を付けてから、
どういう薬が合うか、合わないかを考えていきます。
それには非常に時間がかかります。そして犠牲者も多
く出てしまいます。東洋医学の考え方というのは、病
名がありません。症状を見て、この症状を見て、この
症状にはこの治療法、この症状にはこの漢方薬、こう
いうツボ、というように症状を見て治療がすぐ成立し
ていくんです。ですから、どんな病気でも症状が出る
わけですから、即治療というふうになります。西洋医
学というのは、非常にアバウトな治療法です。という
のは、この病気になったらこの薬を与える。しかし、
その薬の量も、その薬が患者という個体に合っている
かどうかはわからないわけです。だから、治療ミスが
発生します。しかし彼らは「九割よかったら、いいじ
やないか」と言います。「あとのI〇%は仕方がない」
と。そしてついには「それは、体質が悪い」「遺伝だ」
などと、体質とか遺伝という訳の分からない方向にい
ってしまうこともあります。これは、西洋医学という
ものが、科学というものを追随しながら、実はそうい
うところを非常に曖昧にしてしまっているということ
です。これが非常に不可解なところなんです。
戦争医学とも言えるんじゃないかと思います。という
のは、戦争が起こると、10%か20%は仕方ない。
忙しいから、8割治ったらそれでもういいから、早
く戦争に行け。そういう風な「にわか仕立て」の治
療の仕方、荒っぽい治療のやり方が西洋医学なんで
す。東洋医学というのは、その個体に合わせて治療
をしていきます。だから漢方薬も「匙加減」とよく
言いますね。この匙加減というのは、その患者さん
に合わせて加減しながらきちっとその患者さんに合
う量を測っていく。ですから同じ風邪引きでも、風
邪の症状が違います。今年の風邪は下痢ばっかりだ
とか、くしやみばっかりだとか、熱ばっかり出ると
か、風邪にもいろんなパターンがあります。ですから、
西洋医学的には風邪を引いたらこの薬という一つの
パターンしかありませんけれども、東洋医学的には
下痢なら腸が悪いのではないか、というように、風
邪という概念はなしに、下痢している原因を見付ける
ことから始まります。このように、非常に考え方が違
うんです。
そういうなかで、今日のテ~マであります「陰陽論」
ということに入っていきます。今の東洋医学をやって
いる人々はおそらく殆どの人がそういうことは考えず
に、ただ西洋医学的に、風邪引きならこのツボ、肝臓
が悪くなったらこのツボというように、病名=ツボと
いう治療法になってしまっているわけです。だから本
来の東洋医学の考え方ができる人はほとんどいなくな
りました。東洋医学も西洋医学化してしまっている感
じです。逆にそれの方が簡単で、手っ取り早いかもし
れません。教える方もそのほうが簡単ですね。でもそ
れは、本来の東洋医学ではありません。なぜなら、東
洋医学は陰陽論という土台の上に開花した医学に他な
らないからです。

2、陰陽論と易
みなさんをはじめ我々東洋人にとって、「陰」「陽」
といえば、日常茶飯事に使っているわかりやすい言葉
です。わかりすぎてしまって、わかっていないという
逆の面があろうかと思います。そして、この陰陽論と
いう考え方は、もともとは易の基本になる考え方であ
るのです。五千年も、それ以前も前の中国にこの考え
方が出てきたようです。
その昔、フクギ伏義という既に神話的になってしまった
人がいたが、彼は自分の部族を移動させていく中で、
敵から襲われないように導き、天変地変を先に読み取り、
そしてリーダーとしての人格も備えなければならなか
った。そういう状況下、彼を取り巻く森羅万象の変化
に注目し、天の星空を見たり、天の運行などを総て観
察した結果、陰陽論というものを作ってくるわけです。
これが後世に易になっていきます。
易というのは「易い。簡単になる」という意味で、
だから「易」です。
易者の皆さんがいじくっているあれは、本当は易では
なくて、占いです。
当たるもハ卦、はずれるもハ卦で、当たらない事が殆ど
だと思いますが、当たらないからあの人達は路上でや
っているのだと思います。バリバリ当たるんだったら、
御殿にでも住んで、自分から客を求めなくても向こう
から来てくれるのではないでしょうか。
それより、それくらい当たるんであれば、彼らは自分の
将来を占った方がいいんじゃないかと思います。
あれは迷信というか、心のよりどころというのか、いい
加減なものですが、その「易」ではなくて、本当の意味
の「易」です。これが陰陽論、即ち何でもたやすく物事
を解決できる方法です。
あのハ卦の中にも「陰・陽」が書いてあります。
三本あったら「陽」で、点があったら「陰」です。
「大腸、太陰」などがあり、
三つの「陽」と三つの「陰」とを組み合わせてハつの
ハ卦ができますが、あれはハ種類のハ卦をもって、森羅
万象、天地すべてを読み取ろうとしています。
その形それぞれに意味があるんです。
勇気、優しさ、女、男などを表します。
それを当てものにしているのが、あの占いです。本来
の意味ではありません。
  「陰陽」というのはどんなところから見ていくのか
というのは、皆さんご存じの通り、男と女は「陽と陰」、
動物と植物、動物は動き回るから「陽」、植物は静かで
動かないから「陰」というように分けていくわけです。
これを物理、経済、宗教、精神論にまでどんどん展開
していくわけです。
そして、それが非常に簡単に展開できるし、説明できる
し、将来を読むことができるということで、陰陽論すな
わち易ということになるんです。
世の中にはだいたい押し付けで、決められていることと
して信じさせられてしまっていることが多々あります。
「コーヒーは苦い」。これを「何故?」と開けば、
「コーヒーは苦いに決まっている」と言われるでしょう。
「砂糖は甘い」。これらを「何故」と反論しても
答えられる人はいないでしょう。
ということは、科学を信仰しながら、非常に迷信を信じ
ていたことになります。
押し付けで、理屈も理由もなしに、ただ教え込まれてい
たことになります。
「どうして右利きが多くて、左利きが少ないのか」これ
を科学的に医学的に説明することはできません。
「昔から右利きが多いんだ」で終わりです。
どうして中国人や日本人は著を使ってバラバラのものを
わざわざひっつけて食べ、
西洋人はナイフとフオークで引き離して食べるのでしょ
うか。
日本人など、東洋人はバラバラのものをひとつにしよう
という発想なんです。それが著の上げ下げに表れてい
ます。そこを陰陽論で「何故なのか」ということを考
えていくということなのです。私はこれに22、3才
のころに出合い、そして非常に夢中になって、陰陽の
物差しで世の中の決め付けられていること、わからな
いことを解明しようとして、躍起になったことがあり
ます。その結果、説明のつかなかったものが、いくら
でも説明がつくようになりました。ですから、記憶し
なくても、丸暗記をしなくても、自分から組み立てて
いって結論を導き出すことができるようになり、理解
をもって、難無く、それからの20数年を過ごすこと
ができました。この「難無く」が「易」であります。
だから四十七才ですが、顔色もいいでしょう。艶もい
いし、若々しいし、元気いっぱいです。これには根底
に陰陽の考え方があるからなんです。食事のやり方も、
ものの考え方も、生活の営みも、皆さんとのお付き合
いのやり方も、上手にできるようになりました。正に
「陰陽諭」すなわち「易」であったと思っております。

3、物事の陰陽
 基本的な考え方を示しながら、何が陰で何が陽か、
またそれをどのように展開していったらいいのかを考
えていただけたら、いいと思います。
 先程言いましたように、男は「陽」で女は「陰」、
動物は「陽」で植物は「陰」。水は横たわって、冷たく、
動かずに静止しているから「陰」です。その反対に縦
に上がっていくものは火です。火は熟い、下から上に
上がっていくから「陽」です。昔から「塩で清める」
ということをしますが、これはなぜ、塩でなければい
けないのでしょう。同じ白でも石灰ではいけないんで
しょうか。どうやら「白い」という色に問題があるの
ではなく、その「塩」というものに「清める」という
意味が潜んでいるらしい。何故かと考えると、昔は塩
は「しほ」と書いていました。「し」は水の「し」なん
です。「ほ」は炎の「ほ」。「しほ」で「陰陽」がちゃん
と混じり合った完全体ということで、汚れたもの、不
完全なものを清めることができるというわけです。
「汚れる」とは「気・枯れる」ということで、エネル
ギーのないもの、陰性のもの、陰陽のバランスが崩れ
たものです。
「汚れる」ということは「きたない」のではなく、
「気がない」ということです。気のない人間は汚らわ
しい奴だということになります。
その人間が汚いんじゃないんです。エネルギーを感じ
ないから「けがらわしい」ということになるんです。
だから、そういうものに対して陰陽バランスのとれた
「しほ」で清める。ということで日本人は昔から塩を
もって清めていたと言えます。
それなら、何故「し」が水で、「ほ」が火であるかと
いうことになります。「し」の付くものはみんな水に
関係ある言葉です。雨は「し~と、し~と」降る。
洗濯したら「しゃぶしゃぶ」と音がでます。もっと強
くしたら「じゃぶじゃぶ」と濁ります。子供に
おしっこをさせるときも「しーしー」と言います。英
語では海のことは、"sea"ですね。だから日本人も外国
人も関係無しに、どうやら「し」は水に通じるようです。
これは別の話になりますが、人間が止まるとき、私達は
「おっとっとっと」と「と」で止まります。馬は大きい
から簡単には止まらない。だから「どうどう」です。
馬やトラックなど大きいものを止めるときには「ど」と
濁った音、人間のように小さいものは「と」で充分ですね。
外と家の中を仕切るのは「と」でしょう。ところが西洋
では「と」では止まらないのです。だから「ドア」となる。
これは単なる語呂合わせでしょうか。「止まれ」と英語で
いうと、stop=ストップ。で「ト」にアクセントが来ますね。
だから案外語呂合わせだけでは済まないと思います。
人間には本来そういう動作に対しての言葉が万国共通に
あるようです。
アメリカで英語を勉強していた時、日本的発想が英語にも
あることが分かって、面白かったことを思い出します。
要するに人間には万国共通の考えがあるということです。

4、陰陽のバランス
ただ、万国共通でいっしょといいながら、実は全然違うん
です。それは住んでいるところによって、陰・陽が逆転
するんです。単純に言いますと、例えば日本というのは
極東で、極めつけの土地柄です。日本の真反対といえば
アメリカかヨーロッパになりますが、これは地形的に
陰陽逆転です。陰陽逆転というとどれくらい差があるかと
いうと、南極と北極とは陰陽逆転ですね。北極には土地が
ないんですね。南極は大陸です。南は「陽」です。
厚い、凝集、固まりになるから大陸が出現するんです。
北は「陰」です。寒い、冷たい、海のようなところ、
ということで陸がないんです。
このように「何故北極に陸地がないのか」ということを、
陰陽論で解いていけるわけですが、これが、ただ単なる
まやかしなのかどうかは、みなさんがそれぞれ考案して
いただけたらと思います。日本とヨーロッパでどれくらい
違うかといいますと、日本は島国で、山岳地帯です。
ヨーロッパは大陸で、フラットで大平原のある、
広い国々です。日本は昔から男尊女卑と言われ、
ヨーロッパはレディーズ・ファーストと反対です。
日本は右側通行で、ヨーロッパは左側通行。
同時に反対のことを考えるんです。もちろん先程言い
ましたように、日本人はじめ東洋人は箸を使って、
散らばっているものをひとつにまとめていくのに対して、
ヨーロッパ人はナイフとフォークでひとつのものを
切り裂いていく。発想が全く違います。文章にしても、
左から右に横書きしますが、日本人は本来は上から
下に縦書きします。頭痛など、体の具合が悪い人がいて、
観察していくと、左から右へ読んで目を動かしているから
頭痛持ちであったりする場合があるんです。
そういう人をどうするかというと、右から左へ目を流すと治る、
という不思議なことがあります。人間には非常に不思
議なことがあります。左を向いて筋肉テストをしたら
力が落ちて、右を向くと力が入ったりする人もいます。
その人にとっては右を向いているほうがいいのです。
陰陽論を展開していきますと、「日本の国旗はなぜ日
の丸なのか」とすると、「昔から決まってる」わけです
が、それを決めたときの国民の理念というか、考え方、
総意、雰囲気が「やっぱり日本は白地に赤丸だ」とい
うことで表したのでしょう。それに対して反対のアメ
リカは「星条旗」といって「星」ですね。全く反対の
ものを上げています。闇夜に五〇も瞬いている星を象
徴しています。だから、あの国は常にアウトローなん
です。アルカポネが終わったら次はマフィアと。だっ
て「闇夜に瞬く五〇の星」ですから、いろんな悪いこ
とがでてくるんです。だからあの国は常にギヤングと
抱き合わせでなければ発展していけない国、と私は考
えています。別に三日月でも太陽でも良かったはずな
のに、星にした。そしてその反対の国である日本は、
 「太陽」、即ち「陽」を表したわけです。アメリカは
 「陰」を表したんです。よくアメリカ人が「日本はア
メリカのアイデアを盗んでいい性能の製品を売り込ん
で来る。卑怯だ」と言いますが、その時私は、「それ
は卑怯じゃなくて、仕方がないんだ。それがイヤだっ
たら国旗を変えなさい」といいます。「あなた方の理念
を変えなさい。そして国旗を昼を象徴する国旗に変えな
さい。そうすればあなた方の国も日本と同じようになる。
夜を象徴している限り、アイデアしかないんだ」と言
います。夜というのは暗い、ということは「種」。種は
暗い土の中でじっとしているんです。その種がアイデ
アの塊なんですね。種が大きくなって太陽にさらされ
て、美味しい実をつけるんです。だから、アメリカが
アイデアを生産し、それを日本人が待ち帰って育てて
太陽にさらして、製品という完全体を作り上げ、それ
を輸出する。だから日本は猿まねではない。アイデア
を完全に具現化させる能力があるのが日本であり、国
旗が象徴する昼間の世界である。日本は太陽の国であ
るから、未来永劫、日本が「日の丸」を掲げるかぎり、
これは変わらない。日本人の理念は「太陽」すなわち
「陽」だから男尊女卑でないと仕方がない。アメリカで
は「星」ですから「陰」を象徴しているから、女性を
象徴してレディーズフアーストという考えが出て来る。
そこから始まるわけです。食習慣にしても、日本人は
米食を主体とした菜食です。ところが、あちらは肉食
です。菜食というのは陰性ですね。米などは、水の中
から出てきて、動かない、暑い時にできるから、「陰」
で、米は体を冷します。だから、米で作った酒を飲む
ときは塩を置いて、塩で燃やしながら冷たい酒をカバ
ーしているのです。そうすると悪酔いしない。ところ
がウィスキーには塩は盛らないでしょう。同じ酒であ
るはずなのに、どうしてアテが違うのか。米で作る酒
は、米は暑い季節にできるから、米そのものは冷す働
きを待っています。冬できる麦というのは、その寒い
ときに相性が合うということは、麦は暑いんです。だ
からエネルギツシュで「陽」なんです。昔は「貧乏人
は麦飯を食え」と言われましたが、それでいいんです。
貧乏で米を食べていたらエネルギーが弱くなりますか
ら、麦を食べてパワーをつけて、金侍ちにならなけれ
ばいけない。だから、まさに理に適ったことなんです
が、「差別だ」といって、池田勇人は叱られてしまいま
した。彼が陰陽論者で解って言っていたのなら、素晴
らしいと思います。米は「陰」です。野菜も「陰」で
すから、「陰」極まってしまうと、偏ってしまって体が
持たない。だから、米は炊いて熱くくして食べるし、野
菜も、昔の日本人は生野菜は絶対食べなかったんです。
煮たり、焼いたり、圧したり、圧すというのは漬け込
むことです。潰物の時にどうして重石を乗せるのでし
ょう。あれが正に陰陽論の発想そのものなんです。野
菜は「陰」です。冷たくて、動かない。だから体を冷
すんです。重しを乗せると縮められますね。まさに、
プラックホールやビッグバーンと同じで、凝集される
んです。エネルギーが凝集するんです。だから、赤ん
坊で言えば、岩田帯を締めて子供を小さく産んで大き
く育てることと同じです。あれはビッグバーンなんで
す。産まれた時にビッグバーンが始まるんです。その
原理を陰陽論で説いて、その論理のややこしい事は言
わずに、子供が出来たら岩田帯を締めて、お腹を締め
ておくというのです。この方がパワフルなんです。大
きく産んでしまうと、それ以上大きくなりようがあり
ません。だから、日本人も、生活の知恵で陰性な食品、
野菜などは重しを乗せてぎゆーっと押え付けて、岩田
帯と同じですね。それを食べるとエネルギーが出る。
ですから、普段は米を食べるでしょう。それに対して
冬になったらそれでは寒いんです。寒いから餅をつい
て、ばらばらの米をひとつに凝集してそれを食べて栄
養素を体の中で爆発させるのです。ですから、夏は餅
なんか暑苦しくて食べられませんね。
 
5、陰陽論と栄養学
 でも、分析したら、米は米なんですよ。炭水化物、
澱粉です。分析したら同じなのに、消化吸収したら働
きが違うんです。組成は全く同じなんです。ばらばら
にしたら体が冷える。餅についてぎゆーっとしめてや
れば、エネルギーになる、というわけです。だから今
の栄養学の大きな間違いはそこにあるんです。「これ
は何々が合まれている。だから貴方には必要だ」これ
ばっかりでしょう。そうじゃないんです。形が変わる
と、働きが変わるんです。それはエネルギーの取り入
れ方が変わって、使い方が変わってくるんです。だか
ら今の栄養学は全く無知蒙昧なんです。ただ、分析的
に見た目ばっかりを追いかけているんですから。人間
は三十六度五分ぐらいの温度の体内で原子転換を行っ
ています。カリウムがカルシウムになったりしている
んですが。それがわかってないんです。最近わかって
いる人がいるかもしれません。これはケルブランとい
うフランスの科学者が50年も昔に発見していること
です。というのはサハラ砂漠で働いている労働者の尿を
調べたら、それだけの量のカリウムなど体内に入れてい
ないのに、尿に出て来るカリウムの量が非常に多いんです。
体にはそれだけ入っていないはずだ。ということは取り入
れた食物のなかで必要なものは必要なだけ転換している。
それも三十七度までの低温でです。
「これは身体の非常に神秘的な部分である」と彼は言って
います。食べたものは、そのままの形には絶対にならない
んです。牛の蛋白質と人間の蛋白質は全然違いますから、
牛の肉を食べたからといって、その蛋白質が人間の体にス
トレートにつくわけじゃないんです。ところが蛋白質が足
りないといっては蛋白質を摂っているような錯覚はありま
せんか。そういうふうに教育されてきましたから。
これも全く間違いなんです。蛋白質はみな同じ蛋白質じゃ
ないんです。もしみな一緒であれば、臓器を移植した場合、
拒否反応を起こすはずがありません。ところが拒否反応を
起こすというのは、各人それぞれ違った体を持っている
からです。
大宇宙に対する小宇宙という東洋哲学があるんですが、
そういうことなんです。あなたは一つの宇宙観です。
私も一つの宇宙観です。あなたの宇宙の一部を私の宇宙
の一部に入れることは出来ません。
だから、拒否反応を起こすわけです。これが解らなければ
いけないんです。これも陰陽論で解いてみましょうか。
というのは、人間は世界中におりますが、北の人間は背が
高くて、体が大きい。同じ人間なのに南の人間、ピグミー
なんて小さいですね。南へ行けば行くほど人間が小さく
なります。だいたいそうです。人間は北にいると大きく
伸びて、南へ行くほどどうして小さくなるのか、ということ
です。人間そのものは「陽」です。エネルギッシュなんです。
動き回るでしょう。血は赤い。体温は三十六度五分あります。
ですから、北の国へ行くと太陽が少ない。陽が少ない。
だから「陽」が大きくなるんです。それで、身長も体も大きく
なるんです。ところが南へ行くと太陽がきついですね。
太陽という「陽」があって、人間という「陽」が行くと、
反発します。プラスとプラス、マイナスとマイナスは反発
し合います。だから伸びないんです。南へ行くほど人間は小さく
なるんです。栄養が悪いだけじゃないんです。
太陽の持っている「陽」と人間の持っている「陽」が
プラス対プラスで反発するからなんです。だから大きくなれない。


6、陰陽論と身体
 入間だけじゃなく、北で大きくなる動物というのは
馬、牛、熊、鹿なんか、大きいですね。ところが南で
牛を見たら、まあ痩せこけてかわいそうなくらいです
ね。どこに肉が付いているのかという位、南の牛は小
さくなります。南の熊も小さくなります。牛も馬もみ
んな小さくなります。ということは牛や馬や熊は陽性
な動物なんです。ところが、同じ動物でも、南で大き
くなるカバとか、しまうまとか、サイとか、象とかは
北では生きていけないんです。なぜかというと、彼ら
の蛋白質は、「陰」で冷えているんです。太陽の「陽」
に対して「陰」ですから、体がどんどん大きくなるん
です。プラスとマイナスでぱ相性がいいですからね。
 米は何故冷えているかといえば、夏に暑いところで
伸びる「陰」だからです。麦は自分も熱い「陽」だか
ら、伸びることができない。だから寒いところで「陰」
のところで大きくなる。麦で作った酒、ウイスキーな
どと、同じ強い酒でもテキーラとは全然違いますね。
テキーラは南の方で作ります。だから、強烈に体を冷
す成分で作るんです。ところがウイスキーは北のスコ
トランドなどで作ります。ですから同じアルコール
(C2H5OH)と分析ではエタノールといって、
これを飲んだら酔っぱらうんですが、麦で作った
アルコールと、テキーラのようにサボテンなどで
作ったアルコールでは全然違うんです。分析上では
いっしょです。ところが働きは違うんです。一方は
体を冷すアルコール、もう片一方は体を燃やすアル
コール。すなわち、酔っ払う結果はいっしょなんです
けれども、体に及ぼす影響は違います。
南の国へ行って、スコッチなんて絶対飲めないはずだし、
北の国へ行って、テキーラは飲めないです。
飲んだところでおいしくないでしょう。だから、世界
航路の船に乗っていたらよくわかります。その国の近く
に来たら、その国の酒が美味い。ところがその国から
遠ざかっていくと、美味しかっかはずの酒がだんだん
飲めなくなる。次の国で作っている酒の方が美味しい。
まあずっと酒は飲めるわけですが、その環境に応じた
その国で作った酒が一番美味しくなる。
食物でもそうでしょう。ここで食べてもあまり美味し
くないけれど、生産している産地へ行けば美味しいと
いうのは、その土地の気候・風土に自分の体が合って
いるから美味しいんですね。だから、向こうから持っ
て来て環境の違うところで、違う環境のところのもの
を取り入れても美味しくないんです。珍味とか、嗜好品
にはなりますけれども、美味しいものにはならい。 
私が経験しましたのでは、フィリピンでのマンゴーです。
マンゴーは日本では匂いが鼻について食べられたものじ
やない。それがあちらでは「食べてみようか」という
気になるんです。強烈に「陰性」ですから、強烈に休
を冷します。ですから、暑いところに自分の身を置け
ば、うまく取り入れられる。それが日本で、こんな季
節に食べようとすると、だめですね。マンゴーが美昧
しかったので、フィリピンでたくさん船に積んで、日
本に待ち帰ろうとしましたが、沖縄を過ぎて神戸に近
付いてきたら鼻についてしまって、船のキヤビンに積
んであった全部を捨ててしまいました。「三日前まで
はあんなに美昧しかったのに」と不思議に思ったので
すが、これは陰陽諭で解くと、体を冷すマンゴーは、
日本では合わないということになります。日本の夏に
食べるのであれば、まだ合うでしょう。ところが冬な
んかだったら、日本の気候は「陰」、マンゴ~は「陰」、
体は「陰」極まりますから、病気になります。
そういう人に限ってすぐに風邪を引きます。冷え性に
なります。頻尿になります。そして、体が冷えますから
アレルギ~性鼻炎になります。だから、昔はアレルギー
性鼻炎なんて病気はありませんでしたね。ところが今
は鼻炎ばかりです。杉が悪い、何が悪いと悪者を作っ
ていますが、それは違う。あんたが悪いんです。昔は
もっとたくさんの杉の木があったのに、何もなかった
ということは、環境が悪いのでも、埃が悪いのでも、
タニが悪いのでも、花粉が悪いのでもない。人間その
ものが悪いんだ。どこが悪いかというと、体を冷やし過
ぎているんです。要するに風邪引きの状態ですね。
だから、慢性風邪引きになっているというわけです。鼻
炎というから何か違うみたいですが。ですから、風邪
引きの時にどうするかといえば、松葉家の温かいうど
んを食べて、卵酒を飲んで、体を温めたら治るといい
ましたね。冷えて、陰性になった為に病気になるんで
すから、熟いものを食べて体を温めて陽性を取り入れ
ることが必要になります。今はかっての日本人が食べ
なかった生野菜を食べるし、果物も、昔はなかったよ
うなキーウイ、パイナップルやら南国のものばかり。
体を冷すようなものばかりですね。ジュースもそうで
す。人間は本来陽性ですから体が熱い。熱いから冷え
たものを好むんです。当然口触りがいいはずです。だ
からつい、いきすぎる。その結果が冷え性になってア
レルギー性鼻炎になるんです。それなら治すにはどう
したら良いのか。体を温めたら済むことなんですね。
何も敵を探す必要はないんです。何が悪いのでもない。
むしろ自分の食生活の中で、陰性のものを取り入れ過
ぎた結果であるということを知ることです。これも、
陰陽論で解いたら簡単にわかることです。分析も、実
験も、大学の講義も何もいりません。頭の中でばあー
と解決です。そうやって、自分だけつやつやしていま
す。立場上、いつも健康で、朗らかに、にこにこして
いかなければならないのです。このように、陰陽論は
私の中で非常に重宝しているんです。

7、陰陽論の展開
 今まではおおざっぱなグローバルな部分で考えました
が、もっと深いところで見ても、あてはまります。ミク
ロの世界で考えて、例えば一番小さい原子は水素原子プ
ロトロン、陽子が一個、その周りに電子が一個、プロ
トロンというのは陽性です。それに対して電子、これ
は陰性です。これで陰と陽のバランスがとれています。
これをマクロな世界で考えると、地球が一個、月が一
個、これは水素原子と同じではないかと思いませんか。
 「これが地球であれが月だ」と見るからおかしいので
あって、水素原子プロトロンが一個、陰性の電子が一
個その周りを回っている。まさに水素核と同じなんで
す。だから、宇宙レベルから見たら、地球と月という
のは、宇宙に及ぼす影響ということで考えると、水素
と同じ働きをしているんではないか。そこまで考えを
広げるわけです。人間の体で言うと女性は「陰」の極
です。男性は「陽」です。「陽」が極まったら「陰」
になります。反対になるんです。ですから、「有」が「無」
になり、「無」から「有」を生じるといいます。形ある
ものは壊れる。「色即是空、空即是色」と般若心経の
なかに説いてますね。言葉に表したらこうなんですが、
E=MC2とアインシユタインが相対性原理で説きまし
たね。形のあるものがエネルギーになって消えてしま
った。今のものはどこへ行ったんだ。といって物が消
えることがわかったんです。ところが「形あるものはな
くなる、消える」ということを2500年前にお釈迦
様はわかっておられた。今はそれを科学的に証明して、
言っているだけで、古代人はそんなことはわかってい
たんです。女性は「陰」極まって「陽」になるわけで
すから、「陽」を出すんです。卵子を一個しか出しま
せんね。それに男性の「陽」極まった「陰」の精子が
五億程、一個の卵子を目掛けていきます。これは正に
女性の陽の極に対して男性から出た陰極が引き込まれ
ていくのです。ニユートンの万有引力と同じことが働
いているわけです。そして結び付いた一組がビッグバ
ーンで次の生命を生み出す。そして生まれたての赤ち
ゃんはエネルギーの塊り。熱い。だから「子供は風の
子」であり子供は熱いいから冷さないといけないからで
す。それで大きくなるほどに体が冷えてきて冷えきっ
たときが「死」です。死んだらまた「無」になるんで
す。「無」になったら、どこかの精子と卵子が結び付
いたときにビッグバーンを起こす。宇宙はブラックホ
ールになってビッグバーンを起こして、冷えた「陰」
が極まると凝集して、「陰」極まって「陽」になり、
 「陽」極まって「陰」になる。これの繰り返しなんで
す。人間が営んでいる人生も、生死も、宇宙の営みも
全くいっしょなんです。ですから、地球と月というの
も私にとっては「ひとつの水素原子」に過ぎないので
す。「水素原子の上にへばりついているんだなあ」と
いうことです。「だから、ちっぽけなんだから、あま
り小さいことを言って人生を追ってはいけないなあ。
おおらかにいこう」とにこにこと人生を送っているわ
けです。
 人間の体で考えてみましょう。どうして頭は一番上
にあるんでしょうか。「頭は上に決まっている」とす
れば、ナマケモノは頭を下にしようとしていますね。
人間はどうして頭を上にしようとしているのか。考え
たことありませんか。人間の体を陰陽論で解いていき
ますと、非常によくできていることが解ります。何故
かというと、よく使うところ、よく働くところはエネ
ルギッシュです。エネルギーがよく出るから熟い、だ
から冷さないといけない。だから、上なんです。上に
あると冷えていくんです。山の上の方へいくと寒いで
しょう。人間も上に行くほど冷えるんです。下に行く
ほど陽性になりますから熟くなるんです。ですから、
一番よく働くところ、よく使うところは上なんです。
一番よく使うのは脳みそですね。あまり使わない人は
ちょっと低いかもしれません。一番上の「陰」のとこ
ろに「陽」が入っているわけです。その次に心臓は左
にありますが、これも何故でしょうか。右にあっても
いいじやないか。左は「火 足りる」と書くんです。
左手は火の手、すなわち「陽」の手なんです。右は「水
極まる」と書きます。「みぎり」から「右」になった
んです。右手は「陰」の手なんです。ですから、心臓
は左に、そしてよく冷さないといけないので上にある
んです。また、心臓は四つの部屋に分かれていて、そ
れぞれ心房から心室に弁があります。あの弁の数を数
えると、左心房から左心室への弁は二枚に対して、右
心房から右心室への弁は三枚あります。同じように血
液が流れているだけですし、働く機能は全く同じ。だ
から同じ二枚ずつ、三枚ずつでもいいはずです。それ
なのに左は二枚、右は三枚です。これを陰陽論で考え
ると、「陰」というのは拡散性ですから、数が多い。
 「陽」というのは凝集性ですから、数が少ない。そし
て四つある部屋も左の下から大動脈が出ます。ここは
四つの部屋の中で左の下だから一番「陽」ですね。一
番エネルギツシュな部屋だから、血液を出しやすい。
そして一番エネルギーのないところ右の上、右心房に、
陰圧で引き上げるんです。そして右の下の心室から出
て肺へ行く。心臓ひとつにしても、そのように分かれ
ているんです。肺もそうです。右肺は三葉、左肺は二
葉なんです。心臓の弁と同じです。肝臓もそうです。
左側は小さくて、右側は大きいんです。右は陰性、拡
散性だから大きくなるんです。左右同じでもいいはず
なのに、実際はちゃんと陰陽諭で成り立っているんで
す。腎臓は左の方が右より三センチ程上にあります。
同じ機能であれば同じ高さでもいいはずじゃないです
か。これは左の方が「陽」ですから、同じ高さにあれ
ば左側はオーバーヒートします。だから冷すために少
し上に置くんです。左右の腎臓でどちらの方がエネル
ギツシュかというと、陰陽論で解けば、実験などしな
くても左になります。胃は一日に三回ほどしか使いま
せん。だから、一日五回も食べる人は少し上にあるか
もしれません。よく使う臓器は上にあります。使わな
い臓器ほど下にあります。そしてよく使う臓器は左、
使わない臓器は右に、両方にあってよく働く左側は二、
右は三という数に区分されています。頭はボールのよ
うになっていて一番軽いんです。一番陰性で、拡散性
があります。僕は、常々背骨というのはアドバルーン
といっしょだといっています。背骨が紐です。頭は軽
いのか、重いのかということになります。僕は「頭は
軽い」と思います。アドバルーンそのものです。頭を
切って目方を量ると数キロになりますが、みなさんは
目方を感じているでしょうか。正常な頭は軽いでしょ
う。背骨を押え付けているんではなくて、引き上げて
いる。だから、背骨が真っすぐになっている。僕はそ
ういうふうにとらえています。骨の密度が高さによっ
て違うんです。第1頚椎、一番目の首の骨は輪になっ
ていて、殆ど側だけです。二番目から、三、四、五番
目となるにつれて、だんだん骨質が増えていきます。
だんだん骨も太くなるでしょう。最も下の尾骨になる
と、空間がなくて骨の塊なんです。ということは、尾
骨は小さいけれども骨の密度が一番高くなります。で
すから、ファウンデーション=基礎です。それで二十
四階建てのビルとして背骨が積み立てられているんで
す。だから、骨の量を見ていくと上ほど少なくなって
います。下に行くほど密度があります。下の尾底骨が
揺らぐと、上の方はガラガラと崩れやすくなっていま
す。全くビルと同じです。解剖学にしても、僕はあま
り丸暗記はしなかったのですが、形をみて、陰陽論で
解いて、上にいくほど「陰」だから骨質は薄くて、下
にいくほど「陽」だから、詰まっている。尾底骨の前
の筋肉と後ろの筋肉とどちらが強いかという問題が出
まして、勉強してなかったのですが陰陽論で解きまし
て、後ろは陽性、前は陰性ですから、「後ろの方が強い」
としたら、合っていたようです。なぜかというと、四
つん這いに歩いたら太陽が背中に当たるからです。東
洋医学では背中を走っているエネルギーのみだれを、
 「太陽膀胱経」と言います。体が光るような働きをす
るのが「太陽膀胱経」なんです。
 今の東洋医学者はこれを解剖学的にとらえようとす
るからおかしくなるんです。機能的な東洋医学者でな
くてはいけないのです。肝臓を肝臓ととらえるのでは
なく血液を収納するところ、夜の2時~3時まで働く
ところととらえなくてはいけません。そう考えると、
夜ふかしする人は、肝臓が悪くなる。水商売の人が肝
臓を悪くするのは、アルコールだけが原因ではないん
です。本来の東洋医学での肝臓のとらえかたは、血液
を収納するところであり、夜の1時から3時までは血
液を収納して体を休めるところです。別の言い方をす
ると、丑三つ時なんです。総てが止まる時です。その
時間、肝臓が血液を収蔵して、体全体を休ませるので
す。だから、ただ単に形だけを追う西洋医学的な考え
方と陰陽論にもとづいて、動きやはたらき・生物時間
までをも立体的に有機的にとらえる東洋医学とは全く
違うものなのです。東洋医学は、人間を森羅万象の中
の一つと捉え、その陰陽のバランスをとることが、最
も良い状態、即ち健康を保つことにつながると考えま
す。個人を取り巻く環境(自然環境、社会環境)との
陰陽的調和、自分の体の中の各臓器の陰陽的調和、そ
して心の調和、それら全ての調和がとれた状態こそが
健康を生み、自らが生まれながらにして待っている内
なる自然治癒力を最も活性化するのです。そして、健
康は人生の目的ではなく、この世で自分に与えられた
使命を果す為に必要なものであるのです。東洋医学の
哲学的なところはここに極まります。


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2011.03.19更新

自然淘汰

私の菜園では何故農薬を撒かないかというのは、
自然のありようにまかせるということです。

そこでは必ず自然淘汰が起こります。
淘汰されるべきものまで得ようとするところに間違いがあるのです。

この苛酷な自然環境の中で生き抜いてきたという事が大事なことなのです。
それらを我々の食として戴くのです。

感謝をして、そうすると有難くて一粒一葉の食物も
疎かには出来ないはずですが如何でしょうか。

では自然淘汰されていく野菜達、
又生き抜いていく野菜達を少し観察してみましょう。

そのドラマは種を蒔いた時から始まります。

すぐに発芽するもの、しないもの、1日、2日、3日、
或いはそれ以上遅れて発芽してくるもの、
発芽後早く元気に成長していくもの、
又せっかく発芽してもなかなか成育しないもの、
まあそれぞれさまざまなドラマが展開されていきます。

ある程度大きくなってきても急にダメになるものもあります。
後発組であっても徐々に追い上げてくるものもあります。

又途中で丸虫のような虫に喰い荒らされたりするものもあります。
又腐敗菌によって腐って朽ちていくものもあります。

しかしそれらのものと隣接していても全く意に介せず、
虫にも喰われず、ばい菌にも侵されず、
悠々と大きく逞しく育っていく野菜がそこにはあります。

この生存競争に勝ち抜いてきた野菜こそが、
我々の血となり肉となる野菜ではなかろうかと思います。

このような食品を口にする限り、その人は身心共に強靭な健康体を
維持することが出来るのではないでしょうか。

現在の日本を見渡す限り半健康体の人が多いのは、
食のありようが可成り間違っているからではないでしょうか。

医食同源というように、食即ち医という思考をもって
これからの日本を考えるべきであると思います。

最近の私は野菜ではなく薬草であるとさえ思えてくるのです。



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2011.03.18更新

農薬について

我が家の野菜作りに農薬を使用する事はありません。

何故農薬が必要かというと、
見てくれのよい野菜を出来るだけ多く
収穫したいという願いからきているのです。

私の野菜作りについてはどのように表現したらよいのでしょうか、
放置栽培、放任栽培とでも云っておきましょうか、
種を蒔いたあとは収穫あるのみで
水やりをしたり農薬を撒いたりと
お金と手間暇をかけないので非常に樂です。

この理屈は簡単です。
自然界を見渡すとよくわかります。

山をみて下さい。
山には多くの草木が元気に繁茂しております。
人手を一切かけずに水も肥料も農薬も無しに
大きく逞しく病気にもかからず元気に育っております。

自然の山野をみれば
いかにバランスよく調和しながら生育している事か、
人間の知恵の浅はかなさを悟らざるをえません。



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2011.03.16更新

化学肥料についてですが
化学肥料を使用すると野菜の細胞1つ1つが水分を
多量に吸い込んで大きくなり
水分含有量が大きくなるといわれています。

水分を多く含んだ野菜ということになりますので
含有成分は貧弱になります。

ビタミンCの含有率等は昔の野菜の10分の1以下と
いわれるゆえんはここにあるとおもわれます。

厚生労働省は1日400g以上の野菜を摂取するようにと推奨しているようですが、
もしこれが私の作る野菜であるとしたらどのようになるのでしょうか。

毎日40g程度の摂取量でよいという事になります。

水脹れになった野菜は日持ちも悪くすぐに萎れてしまいますが、
私の菜園の野菜は数日置いておいても
水に放つとピシッとして元気一杯になります。

確かに化学肥料で育てた野菜は大きくて見栄えも大へん良いのですが、
その実はひ弱で内容成分が乏しいのです。

そのような訳で我が家の野菜に水をやるのは、
種を蒔いて発芽を促し数センチメートルに育つ迄で、
それ以後は殆んど水やりをすることはなく、
あとは天水なり夜露にまかせるばかりです。



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