2014.04.08更新

平成26年4月8日

皆さん、今日は。本日は御入学誠におめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。
日本の大空は我が国土、豊か葦原の瑞穂の国を覆い、春風は大輪田の泊の汐の香りを運び、
春爛漫の校庭には花色も優しく色鮮やかに桜花は咲き誇り、今日の佳き日に、
新入生の皆様方を御迎え出来る事、喜び一入であります。
今日に至る迄御父兄の皆様方に於かれましては大変御苦労様でございました。
貴方方は立派にお子様を御養育されました。この百有余年の歴史ある県工に入学された事は紛れもなく、
その事実を物語っております。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております
高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、機械の2学科、
生徒数65名をもって開校致しました。その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、
大正10年土木科、戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科を有する全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,046名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように112年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された320名の皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

新入生の皆様方は今日より県工健児として、三歳の間当校で学ばれますが、
この学校を選ばれた理由目的は個々夫々に異なるものがあろうかと思います。
同床異夢というのでしょうか、同じ学窓に身を置きながらも見る夢は異なるという意味であり、
行動を共にしながらも意見や考え方が違うという事でもあります。
然しながら県工という同じ船に乗ったからには3年後の卒業のその日迄
互いに励まし合い、助け合い、苦楽を共にしながら、
又、喜怒哀楽という人間のさまざまな感情や経験を経糸に、
そして緯糸に縦横無尽に操り乍ら美しい綾織物を織って下さい。
時には金糸銀糸も混じえ栄光ある輝かしい誉を織り込んで欲しく思います。

皆さん方が思う3年間は気の遠くなる程の長い道程に感じておられるかも知れませんが、
このひと時は今しか存在しないひと時であります。二度と同じ時を過ごし経験することは出来ません。
今を生きる事の重要さを咬み締めて欲しく思います。      
 今日の一滴の汗が貴方の将来を支えるであろうか、今の君にはあまり理解出来ないと思います。
今日の少しの努力が未来の君の大きな基礎になるであろう事を今の君には余り実感出来ない事と思います。
然し、この3年間で学ぶ事は、学んだ分だけ君の未来に花を添える事になろうかと思います。
一雫の汗は決して君を裏切らない!!
一片の学問も学んだ事は君を決して裏切らない!!
善き経験も悪しき経験も何一つ無駄なことはなく、それらを否定する事無く全てを容認して、
貪欲に飲み込み血となし、肉となして、スケールの大きな人物になるように目指して欲しく思います。
「無欲は大欲に似たり」という諺があります。
余りにも大きな欲望は大き過ぎて人知の知り及ばないものだから一見何も欲していないように見え、
無欲恬淡としているように見えるものであります。
一生涯かけても成就出来ないような大きな目標を掲げて歩む事が肝心なところであります。
目標をしっかりと掲げたらその目標に向かって一歩一歩地歩を固めて進むべし。
疎かにせず確実に進もう。たとえ山があろうと谷があろうと、将又川があろうと、
只々ひたすらに無我夢中、一心不乱になって没頭しよう。
そうすれば目標の100は無理としてもその中の10とか20とか、
或いはそれ以上の成果は必ず得る事は出来るはずであります。
目標を決めたらその時その時の世の中、時世に心を惑わされる事なく脇目もふらずに
信じた道を歩んで欲しく思います。たとえ世間がなんと云おうとも!!
そして願わくば王陽明の説く「認識と実践を一致させよ!!」という知行合一を踏襲して欲しく思います。
知る事は行う事と一致して初めて知った事になります。
学んでも行動を起こさず理屈を述べているだけでは知らぬ事と同じであるという意味であります。
 県工時代に多くのことを学ぼう!! 
 そして学んだ事を行動に移そう!!
学んで行う又楽しからずやの精神で学生生活を大いに楽しんで下さい。
又、有意義な県工時代を築かれん事を心より祈念致しまして私からの御祝辞とさせて頂きます。
 本日は誠におめでとうございます。

2014.03.07更新

平成26年2月25日

皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、御父兄の皆様方並びに
関係各位の皆様方本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております
高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,046名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように112年の輝ける伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
本日御卒業の277名の方々が御入会して頂ける事心より嬉しく、又心強く思います。
皆さん方は今日より県工を巣立って行かれます。
長いようでもあっという間の3年間であったと思います。
光陰矢の如しとは此の様な事を云うのでしょう。
然し、この3年間は大変貴重な時期であり、大きな基礎を作るうえに於いて重要な期間でありました。
皆さん方は今あまり気付かず実感が少ないと思いますが、
卒業後多くの歳月を経るに従い学生時代の素晴らしさが思い出されてくる事と思います。
3年間という短期間の中に多くの事を学ぶ事は出来ません。
然し、この時に培った経験とか知識は計り知れないものがあります。
例えば林檎の種子一粒は非常に小さなものであり、一見なんの価値も無いように思われます。
この小さな種子から何かを見出そうとするのは非常に難しく思います。
然し乍らこの何の変哲も無い見過ごされてしまいそうな種子の中には無数の枝葉が存在し、
無数の果実が詰まっております。又、太く大きな大木も秘められております。
数十年間も生長をし続ける偉大な生命力が潜在しております。
比の一粒の種子の中に林檎のすべてが凝縮されている事実を
今一度一顧だにしてみるのも価値があることだと思います。
県工で学ばれたことは小さな事であってもこの3年間で得た種子を持って
学校を巣立って行かれる皆さんに声を大にしてエールを送りたい。大きな拍手で送りたいと思います。
本校で得た一粒の種子を
粗末に扱うなよ。
愛情の肥やしを入れよ。
知識の水を与えよ。
太陽のような熱き情熱を注げよ。
目的達成の為には燃え上がる情熱と無欲と無心が必要不可欠であり
それらが整うと奇跡が起こるであろう。
林檎の種子が大樹に育ち何時の日かきっと君の志に答えて、
美味なる果実を齎すだろう。
人によって夫々の違った種子を植える事になろうかと思います。
桃栗を植えれば3年後に果実が期待されるであろう。
柿を植えた者は、8年後を待たなくてはならない。
梨の馬鹿野郎19年とか言っていた仙台の知人を思い出しました。
成果を急ぐなよ、早稲は小粒、早成りは小粒といわれる所以であります。
じっくりと年輪を蓄えて、大器晩成を願いたく思います。
老子は云う大きな器は早くは完成しないと。
急がずゆっくりと地歩を固め乍ら目的を見失わず進もう。
蹞歩不休破鼈も千里の如く、足の悪い鼈が陸に上っても休まず進むなれば
何時の日か千里を行くという故事であります。
血統の良いサラブレッドとして生を受けた者は扨て置くとして、
サラブレッドに生まれなかった事を恨むなよ、破鼈も千里を行くの例えの如く
努力次第で千里先の目的地に達することが出来るのだから。
急ぐな!! 只只努力あるのみであると思います。
艱難辛苦をものともせず、自分の信じた道を歩もう。
自ら省みて縮くんば千万人と雖も吾往かん
自ら省みて正しければ敵対者や反対者がどんなに多くとも恐れることなく
自分が信ずる道を進もうという意味であります。
県工健児よ、県工魂で人生の栄冠に輝けることを切に切に祈念して私からの御祝辞にかえさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。

2013.10.12更新

2013.10.12更新

2013.04.01更新

平成25年4月8日
皆さん、今日は。本日は御入学誠におめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
春の訪れと共に国の花、桜花は気高く輝き爛漫と咲き誇る姿は
何物にも変え難く美しく優しく皆さん方の今日迄の成長と、
新たなる県工健児としての未来を暖かく抱き見守ってくれているように思います。
薄桃色に咲き乱れる桜花を始め、山川草木国土も皆悉く
青春の歓喜を唄い雀躍し御入学を祝福致しております。

御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方、今日のこの良き日を迎えるに当たり、
御子息を斯くも立派に御養育された事に高い席からではございますが
満身に思いを込めて敬意を表したく思います。御苦労様でございました。
私は現在、兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております
高校18回化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は33,046名からなる
大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

皆さん方は今日、県工という学び舎に御入学されました。
貴方方の先輩の一人として大慶至極に存じます。
51年前に入学した当時の事を今改めて回顧する次第ですが、
皆さん方は今迄の15年間の経験値で、これからの3年間を探らなければなりません。
闇の中を手探りで行くようなものと思います。
未知の世界に入り踏査する探検家のようでもあります。
大きな夢と期待、又それに伴う不安も多々あろうかと思いますが
御心配等なにもなさらずに県工110年の輝く伝統に身を委ねて、
先達が築き上げた優れた成果、立派な働き、
これらの功績を礎にして大きく大きく育って欲しく思います。
人生をマラソンに例える人がいます。人生を登山に喩える人もいます。
何れも出発がありゴールがあるという事でありますが
人が生まれて紆余曲折し喜怒哀楽を経験して一生を歩み、
そしてゴールに辿り着くという事であります。
皆さん方は何かの御縁があって今日、県工に入学されました。
この御縁を最大限に生かし活用して欲しく思います。
今、スタート地点に立った皆さんからすると、
3年後のゴールは途方もなく遠い存在であるかも知れません。
しかし、振り返ってみれば長いようでも、あっという間の3年間であると思います。
この短い三歳の月日を一日も疎かにせず日々精進して欲しく思います。
県工時代の3年間は想い出作りの3年間として励んで欲しく思います。
県工時代に体を鍛え勉学に励んだ事等、
多くの経験は今は理解出来ないかもわかりませんが、
何時か必ず役に立つ時があります。人生を歩む上において偶然は無いといいます。
好い事も悪しき事も全ては必然性の中にあるといいます。
善き事の連続性も無ければ悪しき事ばかりという事もありません。
良いと思われる経験も忌むべき不快に思う経験も全て
自らを育てる為に必要不可欠な経験であると捉えるべきだと思います。
温かい御飯を一杯食べれば冷や飯を一杯食べなければならないとも云う人がいます。
糾える縄のように表裏は一体となって存在しておりコインの裏表と同じで
表大なれば裏も又大なりという事になります。
大きな喜び事の後には必ず大きな杞憂が存在するという事にもなります。
+-ゼロというのが人生という事であるのかも知れません。
そうなれば多くの深い経験を積んだ人は大きな器、
大きな人間的魅力を醸すのではないでしょうか。そうであればこそ、
県工時代の3年間は何事にも恐れず怯まず躊躇等せずに、
若者の特権である有り余るエネルギーと時間を
スポーツに学問に注ぎ打ち込んで欲しく思います。
この時期に築き上げた体力、知力、経験は途方途轍もないものであり
貴方方の人生を支える大きな力であり財産となります。
世界の道はローマに通じると云われておりますが
凱旋門はそれを象徴的に物語っております。
県工の校門も同様世界に通じる門であり
この校門を潜れば道は世界に通じております。
諸君の先輩達が切り拓いた世界が広がっております。
故に、この道を一歩踏み出し歩もう。君達に必要なのは、
自己が立てた目標に向って一歩を踏み出す勇気だけであります。
その為には健全なる肉体と健全なる精神、鍛え抜かれた身体と
不撓不屈の精神力が必須、不可欠であります。
貴方方が目的地に辿り着く為には長く困難な道のりを
歩き通さなければなりませんがその為には
知力を駆使しなければなりません。
知恵、知識なき行動は多くの徒労に帰する事になるでしょう。
骨折って働いても役に立たず、無益な労苦を費やさない為にも、
学問的基礎を充分に培って欲しく思います。
心、技、体、三位一体となるように努力して下さい。
精神力だけでも駄目です。
力なき精神力は無力であります。
強い肉体を持つだけでも駄目です。
ただ強いだけの徳性劣る者は野獣と化すでしょう。
肉体をよく制する精神性を涵養しましょう。
この貴重な学生生活に於いて最も大切な事はこのような事になろうかと思います。
少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。
月日の経つのは早く、まだ若いと思っているうちに年老いてしまうが
学問はなかなか成就し難い、若いうちから一刻も無駄に過ごさず
学問に励まなければならないという古人の言であります。
この言葉を最後に私からの御祝辞とさせて頂きます。
本日は誠におめでとうございます。
ありがとうございました。


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2013.02.26更新

平成25年2月25日
皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、御父兄の皆様方並びに
関係各位の皆様方本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。
私は平成23年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を
仰せつかっております高校18回化学科を卒業致しました
冨金原伸伍でございます。
我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,757名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の輝ける伝統と歴史に支えられた
兵庫工業倶楽部同窓会に、本日御入会して頂ける事
心より嬉しく、又心強く思います。
 昨年は110周年記念式典を立派に挙行する事が出来ました事、
改めてこの場を借りて御報告致したく思います。
 明治35年県工創立期の日本は如何にあったのでしょうか。
何故県工という工業人育成の為の学校が必要であったのでしょうか、
今我々はこの歴史的背景を検証するべきであります。
当時の日本は220年間にも及ぶ鎖国がようやく解き放たれ、
諸外国に門戸を開いた時でした。
幕末のこの時にあっても鎖国を続け一国主義を貫き通し
今迄通りの日本の国体を護持しようとする者、
開国をして日本を発展させ、日本を存亡の危機から守るべきだと
主張する者、甲論乙駁の議論が百出しその結果開国への道を
歩む事になりました。しかし乍ら科学技術、工業技術等、
欧米の先進諸国と比べるまでもなく、彼我の差は歴然としておりました。
一日も早く工業化を果たし、工業立国を打ち立てる必要がありました。
当時の日本は貧しく富も資源もありませんでした。
しかし素晴らしい人的資源に恵まれており、
識字率は当時世界一でありました。士農工商という封建制の中で
身分制度があるにも拘らず、多くの日本人は読み書きそろばんが出来ました。
即ち考える能力があったという事であります。
又、日本人は本質的に何にでも興味を持つ好奇心の塊のような
民族性があったとも当時の外国人が評しております。
 開国間もない明治期の為政者達は外国を広く見聞し、
先進諸外国を商人国家として看破しこれならば20数年もあれば追いつく事が
出来るという洞察力の元、社会的諸関係や人間の価値観、封建的な因習、
様式等を脱して合理的、科学的、民主的になる為の近代化を
矢継ぎ早に打ち立てていきました。
極東の名も知れない小国が産声をあげて間もなく,
清国、露国と干戈を交えこの二強大国を打ち破る事が出来たのは
数多くの天佑神助に負う処多々あったであろうと思いますが、
その時々の政治的リーダー達、其れを良しとして一丸となった日本人の
アイデンティティーによる処と思います。
日本人の特性とされる一旦緩急あれば義勇公に奉じる精神性は
今の日本人にもしっかりと受け継がれているように思います。
先の東日本大震災に於ける原発メルトダウンを防止する為に
多くの原発技術者達が身命を賭して、自らが志願をして突入し、
原発の爆発を回避させたと聞き及んでおります。
日本人は国家、国民が存亡の危機に曝された時、
国民は覚醒して一体化し国難を排してきたように思います。
今日の日本は戦後レジーム(枠組み)の中で68年間過ごして参りました。
憲法を始め多くの仕組みが制度疲労しているにも拘わらず、
変化を恐れ、改革、革新を遠ざけて参りました。
失われた20年と称して、今の日本は製造業を始め多くの産業が疲弊し、
悲鳴を上げております。
今の日本程、新機軸を求められている時はない様に思います。   
この苛酷な世界の中で日本は生き延びていく術はあるのでしょうか。
諸賢にお聞きしたいところであります。
地球の歴史を振り返って見る時、その答えは自ずと出されております。
中生代に栄え、絶滅した巨大な爬虫類の一種、恐竜がそうであります。
今から約2億4700万年前から約6500万年前迄の間、1億8200万年間
地球上で最強を誇っていた動物ですが、
ある時期を迎えるや否や一瞬の中に絶滅してしまいました。
彼等の種として唯一生存する事が出来たのは鳥類のみとなっています。
絶滅した理由として、気候の変化、隕石衝突説とか、色々といわれておりますが、
詰まる所恐竜たちは激変する地球環境に適応出来なかったと言う事になります。
事実この変化に適応して
現在に至る迄生存を維持している種も多々あるとか聞いております。
我々ホモサピエンスにも当てはまります。
20万年前に出現し2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人を始め、
クロマニヨン人、デニソワ人、フローレンス人等、地球上に出現しましたが
ホモサピエンスを除きそのいずれもが地球環境に敵応出来ずに
滅びてしまいました。唯一現存するのが我々現生人類の属する
ホモサピエンスであります。
結論として云える事は、強者は生き残る事は出来ない
という事であります。弱者も生き残ることは出来ません。
唯一生き残る事が出来るのはその時々の環境に
適応出来たものに限られます。即ち適者生存という事になります。
このような地球の歴史、栄枯盛衰の推移を冷静に見つめる事により
日本の未来の答えも進むべき道も見えてくるように思われます。
 我々はこの戦後68年間の中、失われた20年間の間は特に変化を求めず、
夢うつつに過ごしてきたのではないかと思います。
日本の商品の多くもガラパゴス化し、日本一国のみに通用する物ばかりを作り出し、
世界に通用しない商品群を生み出すに至ってしまいました。
当然の事乍ら輸出力に劣る事になります。
その間隙を突いて、新興国が労働力の安さを武器に追い上げて参りました。
特に白物家電に至っては部品の寄せ集めで作る事が出来るので、
日本の競争力の低下は火を見るよりも明らかであります。
このように見てきますと日本は沈んでいくばかりで、
もう二度と日の目を見ることが出来ないのではないかと思い悩んでしまいますが、
今の日本はそんな柔な国ではありません。経済力は依然として
世界第3位を誇っております。2009年時点で国民の総貯蓄額は
1500兆円はあろうかと思います。国が880兆円の財政赤字を抱えていますが、
国民は依然として金持ちであります。
日本の対外純資産も21年連続で世界最大となり、
2011年時点で253兆円となっております。このように考えてきますと
何等憂うる事はなく、今までの舵取りがまずかっただけという事になります。
押してダメなら引いてみなという諺があるように、
今迄のやり方の正反対の事をやれば良いと言うことになります。
端的に云えばデフレーションがダメ日本を作ってしまったのならば、
その真逆のインフレーションにすれば良いと言う事になります。
只一言付け加えておかなければならない事は、過ぎたるは及ばざるが如しで、
何事も良い加減、いい塩梅でなければなりません。
今日御卒業される県工健児の皆さん、皆さん方は県工の学び舎で
3年間という短い期間ではありましたが、体育、知育、徳育という崇高なる
教育を享受してこられました。これ等の素晴らしい基礎を土台として
明日から社会に於いて大きな大きな大輪の花を咲かせて欲しく思います。
県工健児諸君、後を振り向かず前進あるのみ、
向上心あるのみの人生を歩んで下さい。
県工時代に培った不撓不屈の県工魂で頑張って下さい。
そして、貴方方の栄えある一時代を築き謳歌して下さい。
貴方方の多くの先輩諸氏もその時々の時代を担い
夢を追い一生懸命に生き抜いて来ました。
事の善し悪しは後世の歴史家にその判断は任せるとしても、
歴史を今の価値観で裁くような愚かなことはせずに、
その事実を学ぶべきであります。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶという事をしっかりと認識して下さい。
明日より貴方方は広大な世界に夢を膨らませてその実現の為に切磋琢磨し、
惜しみない努力をして下さい。一度しかない人生を精一杯生き抜いて下さい。
適者のみ生存出来ることを肝に銘じて下さい。
適応する為に改革を恐れてはいけません。革新に躊躇してはいけません。
少しの勇気と努力と想像力と気概でこの困難な時代を乗り越えていきましょう。
悔いのない人生を送られん事を切に祈念致しております。
私達、兵庫工業倶楽部は皆さんの若い力を大いに期待しております。
私達OBは皆さん方の応援団として控えております。
将来的に何かあるようでしたら御遠慮等なさらずに甘えられたらよかろうかと思います。
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さん方、県工健児の行く末を見守っております。
幸多かれの言葉をもって私からの御挨拶とさせて頂きます。 
本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.12.12更新

御祝辞
創立110周年に想う

此の度、兵庫県立兵庫工業高等学校が
創立110周年を迎えられました事、心よりお祝い申し上げます。
又、この記念すべき大きな節目に創立110周年記念事業実行委員会委員長を
仰せつかりました事、身に余る光栄であると共に大へん恐縮致しております。
私は、現在兵庫工業倶楽部理事長の大役を担っております
高校18回工業化学科を卒業致しました冨金原伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は
32,929名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられてきました。
県工は265年間にも及ぶ徳川の幕藩体制が終焉し、
開国がなされ明治という新元号を拝載し、
新政府が開闢された35年後に創立されました。
 
江戸末期、アメリカのペリーによる砲艦外交になす術もなく、
右往左往する幕府、欧米列強と交わす不平等条約等
言い出せば切りがない程の不安定、不確実、屈辱の要素が山積されていました。
当時の亜細亜を見渡してみれば、日本とタイ王国の二国のみを残し
他の国々は惨憺たるもので、悉く欧米列強の植民地と化しておりました。
そのような危急存亡の中で列強による植民地化政策を排除し
独立国として厳存する為にはどうすればよいのだろうか、
明治期の憂国の士は粉骨砕身の思いで新しい国造りを目差しました。
或る者は先進工業、民主主義を学ぶ為に米国へ、或る者は憲法、
軍学を学ぶ為にドイツへ、或る者は土木技術、
騎兵の運用術を学ぶ為にフランスへ、
或る者は殖産興業を学ぶ為にイギリスはマンチェスターへ、
優秀なる頭脳を持った多くの若者達が日本の現状を憂え乍らも、
日本の将来に大きな夢と希望を託し近代国家建設の為に
先進諸外国に赴き、多岐に亘る多くの知識を貪欲に吸収し
日本に持ち帰りました。
又、他方では優秀なる外国人を多数招聘し
彼等から多くの事物を学ぶ事にも成功致しました。

其の時代の日本人はただ西洋かぶれをして
無条件に是れ等を受け入れたのではなく、
此れ等の多くは日本化され和洋折衷、
和魂洋才という形で我が国の土壌の中に
自然に溶け込み根付いていきました。
此の様な中で日本は欧米先進国に追いつけ追い越せと、
国民は一丸となって励み、国富を蓄え国家の近代化を果たそうと心掛けました。
工業立国日本、技術立国日本、輸出立国日本を目差しました。
この近代日本の黎明を告げる文明開化の一翼を担うものとして、
喫緊の問題は工業技術者の育成という事になります。
農・林・水産業等 第1次産業から脱却し
1日も早く都市化、工業化を計る必要性がありました。

従って県工はこのような時代背景の中で、明治35年に産声をあげました。
日本の未来を拓く技術者集団を涵養する目的の為に・・・・・。
県工は兵庫県民の注視する中その目的を見事に果たして参りました。
110年の伝統と歴史に支えられ乍ら、32,929名の多くの技術者を輩出し
工業立国の礎を築いてきたのは紛れもない事実であります。
これからも日本がある限り県工はその時代時代の要請に応えながら、

技術立国日本を支え続けていくことを切に祈念しながら
私からの御祝辞とさせて頂きます。

2012.12.12更新

平成24年4月9日

皆さんこんにちは。
本日は御入学誠におめでとうございます。
心より御祝い申し上げます。

楼花爛漫と咲き誇り、馥郁たる香りは遥蕩う蝶の如く学窓を漂い、
春風駘蕩、春風がそよそよと快く吹くさまは、
青春そのものを象徴している季節であります。
新入学生諸君を天も感応、地神も能受し、
歓天地喜の様相を呈し天地をあげて
兵庫工業高等学校へ県工健児として、
入学を歓迎致しております。

御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方、
今日のこの良き日を迎えるに当たり、
御子息を斯くも立派に御養育された事に
高い席からではございますが満身に思いを込めて
敬意を表したく思います。御苦労様でございました。
私は現在、兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております 
高校18回化学科を卒業致しました冨金原 伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として建築、
機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、
960名を有する全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。
又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に
卒業者総数は32,929名からなる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
三年後、今日御入学された皆さん方全員の御入会を大いに御期待致しております。

皆さん方は、今日県工という学び舎に入学されました。
本日より此の先三年間の道程の一歩を踏み出すわけですが、
皆さんにとっては生まれてこの方15年の経験値で、
将来の3年を見据えなければなりません。
18分の3、即ち17%は全く想像もつかない未知の世界に挑む事になります。
人生経験を積んだとしてもたった15年間の経験でしかありません。
今日から県工を舞台にしたドラマをどのように描いていくのでしょうか。
皆さんにとってこれからの学生生活は気の遠くなるような
3年間に映っているかも知れません。
然し過ぎ去って振り返ってみる時、あっという間の年月であったと思います。
後の後悔先に立たずと先人は言いました。
明日、明日と今日の事を先延ばしにせず、
一日一生を生きる気概で県工時代を過ごして頂きたいと思います。
この3年間で、この学校と共にどこまで想い出作りが
出来るか挑戦してみて下さい。よりドラマチックに、
そしてドラスチックに青春を県工と共に謳歌して下さい。

毎日通った学び舎の道と校門に 想い出を心に
夕映えの白い校舎に 想い出を心に
学友と共に学び語った声谺す教室の 想い出を心に
朋友と共に青空を仰ぎ見た校庭での 想い出を心に
クラブ活動で額に汗をし仲間と励んだ運動場の 想い出を心に
先生 先輩 後輩そして同期の皆と刻んだ 想い出を心に
学校にある全ての物 一木一草に到る迄に 想い出を心に

このように青春期を象徴する県工生時代の一時期の過ごし方は、
良きにつけ悪しきにつけ大きな方向性が決定づけられる
極めて大事な一時でもあります。
このような学校生活で得られる経験は大変貴重なもの有益なるものと
なるでしょう。楽しい経験も辛い経験も全て人生の肥やしとしての
経験を積むべきであり、この県工時代に培った珠玉の経験は
皆さん方の将来を決して欺く事はなく、
きっと素晴らしい結果を導いてくれる指標となる事でしょう。
 
北海道大学の前身札幌農学校に勤められた初代教頭クラークは、
学校を去るにあたって学生達に「少年よ大志を抱け」 Boys, be ambitious.
若者は大きな志をもつ事によって、大きな夢を達成できるという励ましの言葉であります。
事実、その感化を受けた新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾等
多くの学生たちは明治期の日本の発展の為に大きな貢献を致しました。
 
皆さん方は何か深いご縁があって、今日県工に入学されました。
この御縁を大切に生かし乍ら刻苦勉励に務め、
蛍雪時代を有意義に過ごさん事を祈念して私からの御祝いの言葉と致します。
 本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.11.27更新

平成24年2月24日

皆さんお早うございます。
本日は御卒業誠におめでとうございます。
衷心より御祝い申し上げます。
又、今日に至る迄長い間、教職員の皆様方、
御父兄の皆様方並びに関係各位の皆様方
本当に御苦労様でございました。
高い席からではございますが心より御喜び申し上げます。

私は昨年度より兵庫工業倶楽部理事長の大役を仰せつかっております 
高校18回化学科を卒業致しました冨金原 伸伍でございます。

我が「県工」は明治35年11月、兵庫県立工業高校として
建築、機械の2学科、生徒数65名をもって開校致しました。
その後明治42年電気科、大正6年応用化学科、大正10年土木科、
戦後は学制改革により現在の兵庫県立兵庫工業高等学校となりました。
更に時代の変遷に対応するべく、昭和33年デザイン科、34年電子科、
62年には情報技術科を新設し現在では8学科、960名を有する
全国でも有数なる工業高校として発展し君臨して参りました。

又、兵庫工業倶楽部は母校の発展と共に卒業者総数は32,644名から
なる大同窓会であります。
組織的には8つの各科別同窓会、10の地方支部、
多数の勤務先兵工会が存在しております。
このように110年の伝統と歴史に支えられた兵庫工業倶楽部同窓会に、
本日御入会して頂ける事心より嬉しく、又心強く思います。

皆さん方は、今日より県工という学び舎から巣立って行かれます。
長いようでも振り返ってみればあっという間の3年間ではなかったかと思います。
今日から社会人としての道を歩む者、又、更に学業を積まんとして
再び学窓の門を叩く者、夫れ夫れ様々なる道を選択肢として選び歩んで行かれます。

本校が我が国に誕生した110年前の日本は明治35年でした。
その時の日本は如何にあったでしょうか。
日清戦争が終って8年、日露戦争の始まる2年前です。
その頃の我が国は、脱亜入欧の名の下、欧米列強に
追いつけ追い越せとばかり形振り構わず全国民が
一つの方向を信じて突き進んでゆきました。
そのような中で県工は兵庫県下全域より優秀なる若人を集め
未来の日本の産業を支える技術者を育成するべく産声を上げました。

その時々の時代の要請に応えるべく多くの優れた人材を輩出し、
その時代の一翼を担ってきた先輩諸氏を誇りに思います。
又、大東亜戦争になり不幸にも敗戦の苦汁を飲む事になりました、
国土は焦土と化しますが、それでも日を置かずして復興の槌音は全国に谺し、
戦後19年経った時にはアジアで初めての開催国になる
東京オリンピックが挙行されました。
廃墟の中からたった19年間で世界でも最たる国として台頭してきました。
世界最速の弾丸列車、新幹線が華々しく登場し
技術立国日本を世界に向けてアピール致しました。
東京オリンピックに合わせての事でした。

吉田茂内閣の経済優先政策、池田勇人内閣による所得倍増、高度経済成長
政策等、政界も官界も財界も国民も豊かさを求めて、
夜を日についで頑張り、世界第二位の経済力を誇る国になりました。
20年前のバブル崩壊迄、経済的豊かさイコール幸せと信じて、
日本人はただひた走りに走ってきました。事の善し悪しは別として、
当時の我々には進むべき目標とか対象がありました。

その後、失われた20年として今の日本は政、官、財はおろか
全国民に至るまで進むべき道を見失い国難と称して、
只々オロオロするばかりであります。
誰もリーダーシップがとれない、とらない状態が続いております。

この我が国に追い討ちをかけるようにして阪神淡路大震災が起こり、
又、昨年は東日本大震災が襲いました。
天変地異に見舞われ原発という人災の洗礼も受けております。
経済はリーマンショック以来、ギリシャに端を発した債務危機は
欧州経済の下落を引き起こし、言い出せばきりのない
未曾有の状態を我が国、日本はおろか全世界に呈しております。
正に出口の見えない不透明な世界とでも云いましょうか。
カオスの時代を今我々は生きているように思います。
然し混沌とし、混乱している秩序なき状態なればこそ、
又同時に全ての事物を生み出す事の出来る根源でもあると云えると思います。
 
 皆さん方は、今、正しくこのような中に立っている、
大変厳しい中に立たされている訳ですが、
そこに少しの勇気があれば、そこに少しの創意と工夫があれば、
そこに少しの努力があれば、そこに少しの愛と優しさがあれば、
そこに夢と希望と、眉上げて未来を希求する輝ける瞳があれば、
必ずや、いつの日か、今日御卒業される県工健児である皆さんの前途には
有望な道が拓かれていくものと信じています。
私共の若い頃にはよく言ったものです。
お天道さんと米の飯は付いて回る。
何も心配するな、やるだけやれと言う励ましの古人の言葉です。
 
 又、我々の先達、上杉鷹山は「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり」と言い残しました。
江戸中・後期の米沢藩主であった鷹山は、最早財政破綻をしていた
米沢藩の改革に務め、質素、倹約を率先励行、財政改革、殖産興業、
新田開発を行い藩政を立て直しました。
彼の死後、十数年後に借金は完済されたと記憶しております。
実に70年間をかけての財政再建計画でした。
 
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さんの若い力を大いに期待しております。
私達OBは皆さん方の応援団として控えております。
将来的に何かあるようでしたら御遠慮等なさらずに甘えられたらよかろうかと思います。
 私達、兵庫工業倶楽部は皆さん方、県工健児の行く末を見守っております。
幸多かれの言葉をもって私からの御挨拶とさせて頂きます。   
本日は誠におめでとうございます。ありがとうございました。

2012.07.13更新

平成24年6月27日

第172回   神戸ST会  7月例会の御案内

拝啓 梅雨の候 皆々様に於かれましては益々御健勝の御事心より御慶び申し上げます。
今年は冷夏なのでしょうか、6月末というのにあまり暑くはなさそうですね。
梅雨時の特有のジメジメとしたあの独特の蒸し暑さが感じられませんが・・・・・・・・・。
 しかし乍ら時の移ろいは確かなようで、雨に打たれてますます鮮やかな藍青色に変化を見せる
ボールのようなまあるい形をした紫陽花の花、
包み込むような豊かな甘さ香る純白のくちなしの花、五月も負けじとばかり紅紫の美麗な景色を演じている。
百花繚乱の花園は梅雨の季節ならではの花の競演を楽しんでいるようだ。
 扨、今月の催しですが久し振りにteketeke屋にて執り行います。
この間、偶然にある居酒屋でテケテケ屋のオヤジこと新美 淳一さんにお会いしました。
そのような事で急遽決定致しました。
当日はエレキギターでベンチャーズ等、昔懐かしい時代ものの曲を思いっきり演奏していただきます。
リクエストも可です。宜しくお願いします。                                      敬具

 
  ゲストの方も多数お誘い合わせ下さい。
  パーティー会場をご紹介下さい。

 
日 時   7月10日 (第2火曜日)  18:30~ 
               
場 所 teketeke屋
     神戸市中央区北長狭通2-5-1 タイシンサンセトビル6F
  TEL 078-391-1923

     会 費    5,000円






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